アートセラピーからのギフトとアウトプット
アートセラピストとして独立して6年。
今年の5月で7年目を迎えようとしています。
最初に書いた記事の続きです。
私がどういう経緯で、アートセラピストになったのか。
アートセラピーの学校が始まるまで、
数ヶ月時間があったので
(春、夏、秋、冬の年4回募集でした)
私は先にカラーセラピーについて
勉強することにしました。
通信講座と、通うタイプの講座を
2つ受講してみました。
通信講座は、
カラーカードを使ったカラーセラピー。
もう1つの対面講座は、
ぬりえアートセラピーというものでした。
ぬりえアートセラピーは、
面白かったけど、これだけの学びじゃ、
誰かにセッションして
お金をいただくレベルには
到達できないなと感じました。
だからこそ、ますます
アートセラピーの学びを深めたいなと
思うようになったのです。
ちなみにカラーカードを使った
カラーセラピーは、
東京の代々木公園で青空セラピーもしました。
仲良しの姉にも何度も練習台になってもらいました。
色の知識をインプットしたら、
すぐにアウトプット。
通勤電車の中で、
色の意味を覚える日々が続きました。
そう、この時はまだ会社で働いていました。
慣れない経理事務に四苦八苦しながら。
そして、そんな日々を繰り返しているうちに
いよいよ、アートセラピーの学校が始まったのです。
まずは、自分のセルフケアからです。
人のケアをする前に、まずは自分自身のケアから。
幼少期の自分から始まり、
今の自分ともアートセラピーで
しっかり向き合いました。
アートセラピーを体験し、実践することで
私は両親からとても愛されていたんだなと
実感することができました。
これは、私にとって
とても大きなギフトでした。
私は姉弟のさんきょうだいで育ち、
勉強ができる姉と弟の間に挟まれ、
劣等感の塊のような人間でした。
父の仕事の都合で、
幼少期は家族で転勤を繰り返しており、
父も母も環境に慣れるのに大変だったと思います。
私も、小さいながらも
環境の変化には敏感で、
ストレスも感じていたと思います。
そんな過去が、
アートセラピーをすることで
思い出されたのです。
自分の記憶や思いは「色」と
繋がっています。
それを実感する日々でした。
そして、両親からちゃんと愛されていた。
私がこのギフトを受け取ることで、
何倍も強くなることができたし、
次のステップに向かうことができたのです。
次のステップというのは、
周りの人にアートセラピーをすることを指しています。
学校で学んだものは即、アウトプット。
場所代がかからない公園で、
青空セラピーを沢山やっていました。
そして、色々なイベントに参加しては
アートセラピーをさせてもらい、
どんどん腕を磨いていきました。
最初は無料でやっていたものの、
段々500円とか1000円とか、
対価をいただくようになり、
私はますますアートセラピーにのめり込んでいきました。
それを何度も何度も繰り返し、
副業として7年ぐらいでしょうか?
週末のみアートセラピストを続けてきました。
アートセラピストとして、
腕を磨いてきたこの時期は、
今の私の礎になっているので
とても大切な期間だったと思います。
その間、私は結婚をします。
でも夫はアートセラピストとして
すぐに独立することを許してくれませんでした。
さぁ、なぜでしょう?
またまた長くなってしまったので、
次回に続きます。