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【北海道開拓の思い出】#6 兄の魚釣り

兄・幸雄は私と10歳違い、昭和9年に居路夫(オロロップ)尋常小学校を卒業した。それから兄は福山の郵便局の配達をやっていた。配達は、何時間もしないで終わってしまい、後は趣味の魚とりをやったりしていた様だ。兄は命中力抜群だったらしく、狙った物は必ず捕ってくる。

狙ったものは必ず捕ってきたと云うから面白くて仕様がなかったのだろう。とに角、魚を釣ってきたり、小動物をとってきたりしていた。雪が降って銀世界の時、大声で何か叫んで走ってきたと思ったら、川向うを走っている兎にヤスを投げて、当ててとって来た。その時は、皆さん兎より早いんだと云っておどろいていた。

福山の川・鵡川も昔は大川で、水は現在よりずいぶん多かった。すごい深い所もあったのだろう。秋味の時期、兄は相変わらず川へヤスを持って行った。岩の上へあがって、その深みを見ていたら一匹だけ大きな魚がいる。後は同じくらいのが無数に泳いでいるので、その大きいのを狙ってヤスを投げると、ヤスも魚もその川の深みで見失ってしまった。

たしかに手ごたえはあったのにと思いながらも、魚よりヤスを無くしたのが残念だったのだろうと思う。川原をしぶしぶ歩いて下って行ったら、ヤスの柄が立ったまま流れている。兄はまさかと思って急いで近づくと、そのヤスが魚に刺さったまま流れている。驚いてそれを力いっぱい上げてみると、今まで見たこともない大きな魚だった。ヤスが刺さったまま担いでみると、大きかった兄も引きずってしまうほどの魚だった。

その頃は福山の市街もずいぶん戸数があり、こんな大きな魚見たことないと、晩方だったので皆が見に来た。どうしようもない、皆さんに食べてもらうことにして、何とか切って分けたと云う。

もうすっかり暗くなって、大きな声で鼻歌を歌って帰って来た時は、私等は寝ていたが、母は待っていたのだろう。蒲簀(かます)に頭だけ入れて持って帰ってきた。土間へドスンと置いて、魚をとったがあまりに大きいので、市街の皆さんにあげてきたと云う。母も何という魚かわからず、とに角、ものすごい脂ののった魚で、頭一つをまた近くの人にも分けて食べてもらった。今だ、何という魚だったかわからず。川魚だから「イトウ」と云う魚だったのではと思う。

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