【北海道開拓の思い出】#10 古屋敷さんの北海道入植
父は、長女の一枝姉が7歳の時に、14年ぶりで富山へ帰っていた。母と結婚して7年目に一枝姉が生まれたから世帯をもって14年目になる。一枝という名前なのに、内地では花絵になっていたそうだ。富山から北海道に帰るその時に北海道へ連れて行ってと云って一緒について来たのが、古屋敷浅次郎さんだった。
北海道へきて間もなく結婚して、父の行くところを次々と付いて歩き、オロロップのあの山へ開拓に入った。そこからまた八田のクロム鉱山へ入る時もオロロップの土地を投げ捨て岩美へ付いて来て、浅次郎さんは50歳で8人の子供を残して亡くなったと思う。
終戦前だったので、おばさん、長男の信ちゃんはずいぶん苦労した事だろう。浅次郎さんは赤の他人だけれど、親子ともども父のことをおじさん、おじさんと云っていた。
父もよく面倒を見ていたと思う。古屋敷さんの長女の旦那である佐々木次郎さんが岩美のクロム鉱山で働いていた時、失明してしまった。子供が5人居たと思う。目が見えなくなっては働くこともできないので、食べ物があれば子供を育てることが出来ると云って、父が八田さんから退職金としてもらった福山の八幡の近くの土地に佐々木さんを住ませ、名義も佐々木さんにしたそうだ。人が困っていると世話をよく見る父だった。