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【北海道開拓の思い出】#7 穂別のクロム鉱

昭和12年から八幡、岩美はクロムの最盛期だった。我が家も福山市街の近くだったが、岩美のクロム鉱山に長屋が次々と建ち、木工場もあったから働く人は1、2、3番方と云って昼夜働いていた。それに大きな独身寮があり、次々働く人が入って来たのだ。女の人もあっちこっちから来て、寮にも入っていた。我が家も六軒長屋の一番端の一部屋多いところだった。

昭和16年12月8日大東亜戦争がはじまった頃、クロムは益々重要になった。道路もトラック道になり、今まで馬で運んでいたクロムも冬期間だけ馬で、雪が無くなったらトラックで運んでいた。

昭和18年頃から朝鮮の家族も10軒くらい長屋に住んでいた。独身の男性は寮に入っていた。その頃は我が家もまだ長屋にいた。

毎日が突貫工事で忙しく、光(みつ)姉は18年の3月卒業からすぐ事務所で働いていた。その頃の事務長さんは都田実さんで、都田さんの子どもの典ちゃん、勝っちゃんもいた。典ちゃんのお母さんはおむつを持ってうちに典ちゃんを置いて行く。典ちゃんも私の母には良くなつき、家へ来たらばあさんの家のように喜んで、ハイハイでなく座った状態で腰をひきずってついていった。それがとても速い。勝っちゃんはめったに連れて来なかったが、典ちゃんはほとんど毎日のように来ていた。

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