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【北海道開拓の思い出】#28 木炭生産
9月に入ったばかりのとき、都田実さんともう一人の方が炭鉱で働いていた朝鮮の方々を佐世保まで送った。中には日本人にいじめられたりして反感を持っている人が多くいたというから、小頭達は隠されたままだった。誰もが我が故郷へ帰るのだから嬉しくて嬉しくてしかたがなかっただろう。都田さん方は何の危害なく無事に佐世保から帰ってきた。
残っている労働者は今までのようにクロムを掘らなくても良くなり、働くのも縮小された。それでも昭和25年頃まではクロムを掘っていた。外国産の安いクロムが輸入されてきて、岩美ではもっぱら各家庭で使う薪を生産していた。
振内から富内、八幡、岩美の各家庭の燃料を岩美の山で生産していた。まだ灯油の時代ではなかった。山の大木を切るのに営林署が必要な時代だった。我が家も営林署などの来客が多く忙しかった。
父も今までのクロムの仕事から造林の仕事に変わり、月末にはよくソロバンの練習をした。父と私たち3人で2人以上が合っていれば良いと練習した。ソロバンは楽しかった。テレビも無かったから、それが我が家のレクリエーションだった。