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【北海道開拓の思い出】#2 次兄のこと

そんなわけで、父・幸次郎は体調も悪かったが、周りの人方の好意で渡船人になり、川向の川の近くに住んでいたと思う。オロロップの原始林に入って、長男幸雄、次男みのると男の子二人がいれば充分と、まだ小さい子の成長を夢に思っていた。

みのる兄が3歳の時、次女の光(みつ)姉が誕生間もなくのときだった。たった一日の苦しみでみのる兄が亡くなり、父母の嘆きはいかばかりだったろうか。6月14日で庭に植えたグスベリをまだ青い実だったのに食べたからとか、腹を悪くしてとかなんとか云っていたが、親にしてみればどんなに嘆いたかと思う。その嘆きと少しでも土地を増やさなければと無理をしたのだろう、父はとても働ける状態の体ではなく、一時は喀血して、もう最後かと思っていたと云う。とても働ける体にはならないと思ったのだろうが、それでも何とか5町歩の土地を開墾して、自分のものにした。

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