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【北海道開拓の思い出】#9 兄の北支出兵

いよいよ我が家も兄が甲種合格となり、昭和18年3月10日に旭川の六部隊に入隊した。どのくらい旭川に居たのかわからないが、いくらもしないで戦地へ行くという知らせが来た。私たちは岩美から歩くと汽車に間に合わないので、とうとう面会には行かれなかった。戦友の山越国雄さんも同部隊で一緒で、山越の両親は間に合って、自分の息子と私の兄・幸雄と4人で宿に泊まった。明日出発する息子と兄を見送って来たとの知らせを聞いて、父と母が有難かったと云っていたことを覚えている。

兄は北支へ行った。ある時、一寸大きな封筒が来た。それも部隊長の名前で。何があったのか母は開けるのにおどおどしていたが、配達の人に開けなければ分からないでしょうと云われ、封を切った。

そして読んでもらうと幸雄兄を誉める文書だった。50センチくらいの大きな紙に息子を褒めたたえて下さいと云う文書だった。母はもうすっかり有頂天になり、穂別の役場まで早速出かけ、村長さんと面会してそれを見てもらった。

村長さんからも今まで部隊長さんからこんなのが来たとは聞いたこともないと云われたといって嬉しそうに母は帰ってきた。とにかく母も兄のことになると夢中になり、まず朝起きたら顔を洗い、神様に水を上げて、手を合わせて兄の無事をお祈りしてからご飯を炊く。その様な生活だった。

次男のみのる兄を無くしたので、母は異常なほどに兄のこととなると人が変わってしまう。毎日の食事の前には陰膳をお供えして、節分の豆を3個、水やお茶は必ず。晩方になったら必ず洗面器にちょうど良いお湯を入れて「足の型の石」を洗って陰膳と同じ場所へ置いておく。それを母がいない時は私等が母に言われてやった。

今思えば兄はどこにいるか分からないが、それを毎日やった。暑い時も寒い時も、それをやらなかったら一日が終わらなかった。

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