【北海道開拓の思い出】#25 戦争が終わった日
昭和20年8月15日、夏休みですごく暑い日だった。鉱山はお盆もお正月も突貫工事で休んでいる人なんかいなかった。その日もジャガイモをイモ餅にして食べていると、配達さんが戦争が終わったと報告に来た。誰もラジオなんて持っている人はいなかった。すぐに戦争が終わったことが電話でも入った。
アメリカに負けた。
ただそれだけで、どうしたら良いのかもわからなかった。父は100人近い労働者が明日からどうしたら良いかと思ったのだろう。まあ落ち着け、お盆の15日だ。今日終わったといっても、すぐこの山へ殺しには来ないだろうと云った。
仕事も休みになった。だけど多くの労働者とその家族がいる。何を食べて腹の足しにしていたのだろう。食べるものだけは何とか皆さんに配給してやらなければならなかった。物置の隅に常に隠してあった米3俵を全員に分けた。明日の運命も分からないのに。
女の人はアメリカ兵に連れていかれて、男の人は殺されるなどいろいろなデマが飛んで来た。
朝鮮の方々は今まで岩美のクロム鉱山でみんなと同じように働いていたが今度は逆の立場になったのだからさあ大変。一致団結して鉱山で働いていた人ばかりではなかった。あっちこっちから鉱山の独身寮に集まって、今までいろんな思いをしてきた人たちだった。無理に日本に連れて来られ働かされて、家族とも離れ離れになって、どんな思いをしていたのだろう。朝鮮の方々にとってもこの戦争は大変なことだった。