コロラドストリートブリッジ-美しい芸術作品である:Suicide Bridge
コロラドストリートブリッジ(Colorado Street Bridge)-美しい芸術作品である:そして・・・Suicide Bridge
コロラドストリートブリッジは1913年に建設され、アロヨセコと呼ばれる季節の河床の高さ150feet(約46m)真上を横断した。
パサデナとロサンゼルスをつなぐ、当時のRoute-66だ。
ただ、未だに、その美しい芸術的な橋梁は、落胆した人々を絶望的な最後の瞬間に、その柵は引き寄せるようだ。
そして、コロラドストリートブリッジは地元では、自殺ブリッジ(Suicide Bridge)とニックネームで呼ばれた。
その最初は、建設作業員が亡くなった、その橋の下の、まだ、湿ったセメントに落下した為、セメントの重さは彼を引き抜くことを不可能にし、彼は橋に埋葬されたまま・・・と言う噂が今も残る。もう、100年以上も経つのにだ。
その完成後は、大恐慌(Great Depression/1930年代)だった。その大恐慌の間に死者の数は急増したが、そこで止まる事とはなかった。
ここで、1つの話に、ご冥福を捧げたい。
1937年5月1日、それは、女性とその子供についてであり、ある夜、母親は子供と自分を橋に連れて行き、人生を終える準備ができていた。彼女は最初に女児(3歳)を投げ、次に、河床のベッドに・・・ジャンプして急降下して亡くなった。
幸い、女児は、木に着陸したので怪我で済み、生き残ったが、母親は人生を終えた。
その後、この女児は、自分の生存を天使の介入のおかげだと信じていた。そして、その母親は、メモをドレスにしっかりと、しまっていた。
「私はロサンゼルスの4329マートルアベニューのマートル・ワードです。」
母親のマートルは娘の困難な骨盤位(さかご)の誕生以来、体調が良くなかった。そして、そこへ大恐慌が襲った、ミュージシャンの夫は、公共事業促進局からの仕事を見つかったが、その女児と家族を養うためには、十分ではなく、、そして、子供の世話のために、彼女の仕事も辞めなければならなかったのだ。
それは、この状況を産んでしまった。女児が、もう少し大きくなれば、そして、今、壊れた心であっても、いつかは平静になるだろう・・それが、壊れた時間のスパンには、気がつかないものだ。そして、この自殺は、永久と言うことになるのだ。
そして、欄干は、自殺を阻止する目的で8feet(2.4m)の高障壁で置換したが、ブリッジは、そのニックネームを保持している。今日でも、一部の人々は自分たちの生活を終わらせる手段として橋を使用している・・・
例えば、2015年の事になるが、アメリカ人のモデルでスターは、橋から飛び降りているのだ。
そして、2016年には、高さ10フィート(3.0 m)の金網柵の形をした一時的な自殺防止バリアが手すり内の歩道に設置され、その間が塞がれた。それは、このアルコーブ(くぼみ状の部分)は、自殺の犠牲者がたどる主要なルートであると考えられているからだった。しかしながら、その結果、2017年には、自殺により9人が死亡した・・・
いわゆる認知行動科学などでは、橋による自殺は他の手段よりも衝動的である可能性が高く、障壁は橋による自殺の発生率を減らすことに大きな影響を与える可能性があると信じられているが、 ある研究によると、バリアを設置すると、自殺の発生率が高くなる結果が、グローバルに出ていると言われる。
その後、現在は、一時的な柵を恒久的な障壁に置き換えられた。
・リマインダー(reminder)
確かに、この橋の下で150人以上の命が終っている、それは大恐慌の時から、現在に至るまで・・・
犠牲者の友人や家族が受け継いだ痛みは、彼らが残した記念碑に表れている。
キーなしでロックされた南京錠は、10feetの金網自殺障壁からぶら下がっていて、その人たちの人生が、あまりにも早く終わったことを思い出させるものとして機能している。これらの錠は自殺の最終性を物語っている。
彼らはまた、人々が他の方法を見なかった、そこでの終わった魂を気遣い、悲しみ続けていることを私たちに思い出させる。
2012ラナ・デル・レイ(Lana Del Rey,1985- /アメリカのシンガーソングライター)の歌-夏悲しみ(Summertime Sadness)のアルバムのためにBorn to Die(死ぬために生まれ)橋の上のミュージックビデオの撮影部分を。女優のジェイミー・キングが橋の一部を登り、ビデオの後半で飛び降りるシーンが見ることが出来る。
最後になるが、このコロラドストリートブリッジは、女性画家ヘレン・ランドバーグ(Helen Lundeberg,1908–1999/アメリカの画家)のアイリス(キャンバスに油彩/1936)の遠方に描かれている。この作品は、生と死のテーマに取り組んでいるからだ。
by Helen Lundeberg
それは、現在進行形で150人以上もの、なんとも悲惨な話だ・・・
自分は、ロスからハイウェイを走ってしまい、そこへ、辿り着くことは出来なかった・・幸いだったのかも知れない。
・
・・
・・・
・・・・
・・・・・
そして、パームストリングスから、ジョシュア・ツリーパークに着いた時には、もう、日が沈む直前だった。