今更、映画「FOUJITA」をみた。(一応ネタバレ)
フジタ。レオナール・フジタ。
藤田嗣治。
狂騒の1920年代、パリでは共同アトリエに集って制作していた画家たちはエコールドパリと呼ばれた。
1920年代といえばアメリカは失われた世代、その寵児はスコット・フィッツジェラルド。享楽的で破滅的。儚いから騒ぎ。タキシードとフラッパー。
エコールドパリの多くの画家たち、作品に対してもそんな印象を受ける。
モディリアーニ、フジタ、キスリングなど。
不安定な恋人たち、酒、狂乱。
終始、映画全体に充満する虚しさ。
映画の前半、パリでの華やかで軽率なフジタたちをみせてから、日本で戦争画を描くフジタを長めにみせることで、虚しさ、疲労、迷いが塵のように雪のように段々と、そして確実に降り積もらせていく。
虚しく重たい空気を画で、時間の流れで伝える。Gが段々と増してくる。
最後にフジタが帰化したフランスに建てた教会が映し出される。
最後の最後に空気が動いた。私たちは閉塞感から解放される。
フジタは進んだだけ。
坂から転げ落ちる雪だるまのように
時代を転がっていった。
ゆめまぼろし。美しい悪夢。
だが現実。
ひとりの画家の、ある時代の。
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