note Life【9】
〜波乱〜
2020年が幕を開けてまもなく、かつてない混乱が世界を席巻しています。感染症はこれまでにも幾度となく現れてはいましたが、世界中の都市が封鎖の手段を選ばざるを得ないほどの流行となっています。
今回ほど身近に問題になったことはなかった気がします。
日本は少し遅れて広がり始めたこともあってか、やっと緊急事態宣言の準備が進められているとか。
時間の問題…そう時間が問題です。
自覚症状がなかったり重篤化しないまま回復する人もいることから、適切な薬や治療法が確立するまでの時間さえあれば、助かる人も増えるのではないかと思います。
だから今は手洗いや人の集まる場所へ外出の自粛など地道な辛抱が必要となります。
創作活動が如何に内面との対話を重視するものであったとしても、世界が平和であってこそと言う面を無視できないでしょう。
混乱の中にあって何ができるだろうと思いを巡らせることもあります。
noteは6周年《2014-2020》
時には迷い、時々立ち止まりつつも6年の時が流れたようです。
ずっと成長していたわけでなく、むしろ何も変わっていないような気さえします。辿りついた光景は思ったものとは違うかも知れません。でも、この6年で一つでも二つでも手にしたものはあったはずです。
最近は6年前にも増して時の流れが早く感じます。
急に死について意識するようになったのは昨年の春頃だったでしょうか。
転機になるかも知れないと言う漠然とした予感がありました。その予感は自転車で転倒して手首と肋骨を骨折すると言うことで実現してしまった感があります。
そう言うことじゃないんだよなぁと苦笑していたら2020年は世界的な転機となりそうな気配です。
感染症の大流行もあって今ここにあることは当たり前ではないのだと言うことを切実に感じさせられます。
生きている事と創作活動の意味、そして世界との関わりを意識しないわけにはいかないかも知れません。
生きる意味は人によって違っていいと思います。生きる動機や生き甲斐や支えになることが大切ではないでしょうか。
若い頃、仕事に追われて疲労感を解消できないでいた頃は死が怖いとは思わなかった。むしろ消えてなくなれたらどんなに楽かと思うこともありました。皮肉なもので漫画を描くことが出来るようになってみると死ぬのが怖いのです。もうしばらく生きたいと思う。
6年前、noteに出会わなかったらどうだったでしょう。
この生活がいつまで続けられるかはわかりません。それでもこの6年の意味は小さくないと思うのです。
トンネルの出口まであとほんの少しかも知れない。目指したのが大きな山でなくてもいいんだと思うんです。丘のてっぺんまで行けば新たな景色に出会えるかも知れません。
noteの片隅にラクガキするように描き続ければ、いつかパラパラ漫画のように躍動感を手に入れられるでしょうか。
そんな気持ちで今日も一歩ずつ前に進みたいのです。
note Life
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… 頼風 …