21歳の出会いーアートジョブフェアの原点ー
こんにちは、高山健太郎です。
現在、アートジョブフェアのクラウドファンディング10日目を迎えました。
今日は、アートジョブフェアの原点ともいえる21歳(2004年)に出会った「アーツなお仕事発見セミナー」を紹介します。
2004年1月にアメリカでの語学留学から帰国し、就職氷河期ということもあり、アルバイト生活をしていました。そしてアルバイトの傍ら、同世代の友人のアーティスト達と、大阪城公園やカフェで展覧会を自主企画する活動をはじめます。
語学留学先のニューヨークで出会ったアーティスト小沢剛さんの「なすび画廊」から影響を受け、友人達の発表機会をつくりたいと、アルバイトで得た稼ぎで、ホワイトキューブのような展示空間やイーゼルやチラシをつくったりと、手作りの展覧会を開いていました。
ただそれまで美術館やギャラリーで働いたことはなく、経験やノウハウも相談できる人もいなく、このまま活動とアルバイトは続けられないと悩んでいました。(左の写真は21歳の当時の私です)
その時に偶然、大阪市にある應典院というお寺で開催された「アーツなお仕事発見セミナー」を知り、面白そうだと感じて参加することにしました。
セミナーの企画者は、現・鳥取大学の川井田祥子さんで、講師には、障がいのあるアーティストが集うアトリエインカーブを設立された今中博之さんや、新世界フェスティバルゲートで表現活動の場を開いていた上田假奈代さんなど、今も第一線で活躍されている方々が登壇し、ご自身のこれまでのアート活動を紹介する連続セミナーでした。
この頃は、アーティストではなく、アートを支える人が、それを仕事にするケースはまだ少なかった頃でした。今で言えば、アートの仕事のキャリアセミナーですが、当時は世の中には、こんなにも様々なアートの仕事があるんだと強い刺激を受けました。
セミナーで、今中さんや上田さんというロールモデルに出会えたことは、アートと社会をつなげる仕事で飯を食べていきたいと思えたきっかけでした。
それからはインターネットで、毎日アートの仕事を探す日々が始まりました。今中さんや上田さんという人物がいるのであれば、日本全国のどこかには、アートの求人募集をしている団体があるはずだと、根気強くネット検索を続け、数ヶ月後に、香川県の直島に開館した地中美術館のボランティア募集の情報に出会いました。
2004年の直島は、今のように現代アートの島として広く認知はされていない場所で、島に初めて降り立った時には、小さなプレハブ小屋しか港になく、来島者もとても少なかったことを覚えています。
直島では今もお世話になり、ロールモデルとして多大な影響を受けているキュレーターの秋元雄史さんに出会い、秋元さんが企画した展覧会にスタッフとして関わることになりました。
今もアートの仕事を続けているのも、21歳の時に参加したセミナーや、ロールモデルの方々との出会いで、世界が一気に広くなった体験がきっかけです。
今度は自分がそういう仕事や人との出会いの場をつくりたいと、39歳の時にアートジョブフェアを立ち上げることになりました。
2回目の今回は、東京ビル TOKIAで開催し、700平米の広い空間で、より多くの人と人の出会いや、人と仕事の出会いを生み出すことが可能になります。
誰もが参加できる、より開かれたアートジョブフェアの継続開催へ、ぜひご支援や情報拡散にご協力をいただけましたら幸いです。