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現実を夢が理解する

先週の連休から、男2人の箱根旅行だったり、幼馴染の挙式だったり、実に濃厚な時間を過ごした。
それで、たくさんの刺激をうけたり、感慨深い想いにさせたりで、思考が追いつかない。
文章化したり、妻に淡々と話をしたりしてるが、文章も言葉も片面しか表せず、違和感が残り続ける。

そうした数日だから、やはり夢を多く見る。そしてはっきりと覚えている。眠りが浅いのだろう。身体的にもハードな日々だったし、締め切りが進まない焦りもある。ごった煮のような現実が、いくつかの不思議な物語になるのはなぜだろう。フロイト曰く、そうやって脳は、あまりに刺激的な心象によって、気が狂わないようにしてるのだという。恐ろしい話だ。

さて、3つの夢。1つはセカンドオピニオンで病院をたらい回しにさせられる。これは母の付き添いでもあり、自身の身体の事でもあり、その都度一喜一憂する。

4:00ごろ夜中目が覚めて、また寝る。

誰もいないはずの水槽に、大きな金魚と数匹のメダカがいて驚いた。誰が入れたんだろう?と妻に聞くと、息子と一緒に買ったのだという。鮒みたいな大きさで、実家の水槽にいる巨大化した金魚にそっくりだ。
僕は慌てた。水換えもしてない水素は、ブラック君が亡くなった原因の細菌に溢れているし、酸素もつけてない、水温も低い。しかし、巨大金魚は悠々と泳いでいる。心配しすぎなのか?と苦笑いしつつ、これからまた始まる、金魚生活にワクワクしていた。

6:00目が覚めた。そしてまた寝る。

舞台の前に座っていた。欽ちゃんの仮装大賞が始まるようだ。1組目はおじさんたちのハードロックの演奏だった。しかしボーカルのおじさんの声がでず、審査は落ちた。僕は客席で励ました。

2組目が印象的だった。わらわらと出てくるのは、30体余りの、キャラクターの描かれた立て看板。しかし、妙だ。アンパンマンの顔はドラえもんになり、のび太の顔は、クリリンになり、目も鼻も、全部バラバラで、福笑いのような気持ち悪さがある。それらの看板が動きながらミュージカルが始まった。

パン屋の格好をした2人の女性が登場。「コンプラー♫コンプラパンはいかがですかー♫」と踊りながら、道ゆく通行人に焼きたてのパンを配る。通行人がパンを一口食べると、そのあべこべなキャクターの看板が、一体フッと消える。
他の人がパンを食べるとまた消える。ミュージカルとともにそれが繰り返されながら、いつのまにか、舞台には看板は全て消えてしまった。
どういう仕組みなんだろうと舞台に上がると、看板は倒れていた。パンを食べるたびに、レバーを踏んで倒していたような。仕掛けは簡単。僕もパンをもらって一口食べ、レバーを踏んでみた。すると、最後のキャクターが笑顔で倒れた。

しんとした舞台の最後に出てきたのは、息子の通う保育園の若い園長先生だ。先生は笑顔で挨拶をし、会場から喝采を浴びた。僕は良い舞台を見れたと満足した。

目が覚めたら7:00だった。寝室で子供たちが騒いでいる。

あのミュージカルは、昨日の披露宴を象徴してるようにも思えるし、あのあべこべなキャクターたちは、保育園の子どもたちのようでもある。
パンはキリスト教における、イエスから与えられた血と肉。そのパンを食べた途端、あべこべな人格は消えてしまう。まるで不思議なマジックだが、そのパンは、僕ら自身が持っている。

大きな金魚は幸運の証という。それは家族によって与えられる。その幸運に戸惑う自分。まだ環境も準備も整ってないと言うが、それでも金魚は堂々と泳いでいた。
ーーー
7:00におきて9:00まで子供の支度をし、保育園に送り、朝ごはんを食べる。ふらつきと疲れの中で、いつものルーティンである妻とのカフェ時間。それぞれ時間を過ごす。僕は夢日記をつける。

この分だと今日の締め切りは気力が足りなそうだ。まぁどうにかなるだろう。

おわり。

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画家・ペーの日記
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