それぞれの役割
朝、保育園の駐輪場についた時、1歳10ヶ月の娘が、「あっ!」と指差した。そこにはママチャリのカゴの上に止まった野鳥がいた。
人に対してまったく動じず、太々しいくらいだ。この手の野鳥にしては珍しい。園では農作物を育ててるから、いつのまにか住み着いてしまったのか。
娘は喜んでいた。近づいてもまるで逃げない。登園する他のママも、あれ?と言いながら笑顔になった。野鳥は首を傾げて何かを言いたそうだ。
そのうち園の先生がやってきた。野鳥のことを伝えると「この鳥、ここ数日いるんですよね!」といきなり箒を持ち出して野鳥めがけて振り回しだした。やや、これは大変だと見守るパパと娘。数分前の癒しの空間が、一転して野を荒らす鳥と農民との戦いに・・。
可哀想だなと思う気持ちと、住みつかれては困るだろうなという思いが交錯する。かわいそうとか、かわいいとか思うのは(他人事)だからだ。
すると野鳥は、ケケッ!と笑って、なんと僕の方に飛び乗ったのだ。娘はびっくりして喜ぶ。僕自身も、肩に「野鳥の健気な体重」を感じ、思わず心を打たれてしまった。
園の先生は、コラ!と言いながら追い払おうとする。野鳥はちょっと離れた作に飛び移り、こちらの様子を見ていた。
娘にとっては面白い鳥さん、ピーピー!って感じだが、僕らにとっては、世界は一瞬で変わった。言うなれば「役割」が変わった。
保育園のクラスに送り、駐輪場に戻っても、野鳥はどこにもいなかった。農作物さえ荒らさなければ、かわいい鳥ちゃんなんだろう。でも、彼だって必死だ。しかも、「野鳥」という種族の群れにおいて、彼ほど人懐っこいのも珍しいだろう。異色といえる。
うちのベランダになる柿も野鳥が食べることがある。目の前で柿が食べられたら、あまり気持ちの良いものでもない。が、野鳥は本来の生き方をしているだけだし、人間は勝手都合で解釈し、相手の役割をコロコロ変えている。
不思議だなと思う。いつか夢に見た景色のようだし、あの野鳥の肩に乗った重さが今も忘れられない。
とても軽く、頼りなく、そして自由だった。