
世界の終焉
毎日夢の話だ。実にどうでもいいと思いながらも記録せざるを得ない何かを感じている。
ーーーー
世界の終焉を迎えていた。ニュースで、核ミサイルが発射されることが決定して、それが爆発すれば世界は滅亡すると伝えられていた(まるで映画のようだが、異様なリアリティがある)。
僕ら家族や友人たちはあてもなく歩いて移動していた。逃げるわけもなく、ここにいても仕方がないと言う塩梅で。
代々木公園について、ここのロッカーに貴重品を預けることにした。小銭だけを残して、また歩いた。人混みの流れはバラバラになり、森を抜けて、海のようなところに近くにきたら、古い旅館についた。まるで富士屋ホテルのようだった。

10階たてはありそうな木造建築で吹き抜けになっていた。窓ガラスも広くて美しい。ここで最後を迎えるのは良いことだと思った。
窓の遠くの海辺の景色に、一本のロケットが立っていた。なんとこれが核ミサイルだったのだ。我々は離れているようで、ミサイルに近づいていたのだった・・。
一階の食堂で、割烹着をきたおばちゃんたちが食事の準備をしている。あと何組か、ここに辿りついた家族がいた。こういう日にもお腹は空くものだと思った。
おもむろに発射音がして、遠くのミサイルが地上を離れた。ああ、いよいよだなぁとみんなで眺めていた。悔いはなかった。穏やかな気持ちすらある。朝日が差し込み、海辺の水面が輝いていた。
するとロケットは上空で止まり、ゆっくりと下降した。そうして、飛び立った場所に静かに着地して、パタンと倒れた。。
僕らはあっけに取られた。助かったのか?と思った。しかしなんの感慨もない。またいつもの日常がやってくることへの安堵感があった。
しかし、それからだ。ロケットから白い蒸気が湧いてきて、ゆっくりとこちらに向かってきた。ロケットの検査をしにきた作業員が咳き込んでいる。鼻から若干鼻血を出している人もいた。
僕らは、旅館の広い窓をそれぞれに手分けして閉めた。全部締め終わったところで、白い霧に包まれた。それは室内に入ってこないようだったが、視界は何も見えなくなった。
いく日が経ったのか、霧は消えた。しかし、ここにい続けるのはあまり良くないなと感じ、たまたまバスが来たので移動することにした。
長旅になった。仲間は寝ているが、同じ姿勢でつらそうだ。足をマッサージしたりした。
サービスエリアにつく。トラックがたくさん停まっていた。そこでジュースでも買おうかと思ったがら手元には100円ちょっとしか残っていなかった。仲間のために何か買ってあげたかったが、まぁどうにかなるだろうと思った。
ーーーー
そして、目が覚めた。
世界の終焉という割には、静かで、白がベースの景色だった。旅館の窓と吹き抜けは美しい。みんなで手入れをしていた。
核ロケットは、まさに展覧会までのカウントダウンだろう。あれだけ楽しみにしている展覧会も、100人の生徒さんと、道なる来場者、そして何より自身の制作が全く進んでなければ、世界の終わりくらいに感じているのだろう。。なんとも、滑稽で深刻な話だ。。自分が情けなくなる。
そのロケットは不発して地に落ちた。白い蒸気が霧になり、僕の「聖域」を取り囲む。そしてやがてはそこも離れることになる。トイレもないぼろぼろのバスだが、家族がいて仲間がいた。あそこはもうすでに黄泉の国だったのかもしれないし、新しい人生の旅の始まりだったかもしれない。
最後に手元に残った100円余りの小銭は、失踪した父親と20年ぶりに再会した時に、机の中にしまわれていた「父の全財産」だ。きっとこれにも意味があるのだろう。僕はあの時、財布の中のすべてを父に託して、また来るからね、と別れた。その後2年間、父との時間を過ごすことができた。
夢のことだからはっきりとわからないが、また新たな旅を始める時に、この小銭は父からの手向けなのかもしれない。たった100円余りでも、田を耕し、技術を伝え、心を交わしていければ生きていけるってことではないだろうか。
来週の展覧会が終わっても人生は続いて行く。また全てを手放さないといけないこともあるだろうが、いつだって僕らのことを見守ってくれる。
さて、あと7日。ひとつひとつ。
世界が終わろうとも、僕の心は静かだ。
いいなと思ったら応援しよう!
