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ホッパーcafe

近所にある、個人経営のカフェがとてもセンスがある。コーヒーもこだわりがあり、店内も落ち着いてスッキリしてる。
ただ一つ、ここができて数年になるが、お店オーナーの若いご夫婦との距離が、いくら話しかけても縮まらない(笑)。大概、僕のコミュ力を持ってすれば、地元の街のいろんな人と仲良くなれるのだが、この店のご夫婦だけは、薄皮一枚、どころか、話しかけてもしらーっとした空気が流れている。もちろん、美味しいコーヒーやケーキを楽しむ時間だけがあれば充分。いつも混んでいるのが何よりの証拠だ。

今日は雨の日だった。息子たちが帰ってくる前に,久々に寄ってみることにした。最近は駅前のタリーズばかり通っていたから、久々すぎて、お店のドアを開けるのも緊張した。奥様が対応する。やはり目はビー玉のようで、僕が初めてくるお客さんのように対応した。雨のせいか店内は誰もいない。カウンターの奥からご主人がのぞいたから、やはりビー玉のような目で一瞥し、奥に入って行った。
塩対応、もここまでくると「職人」の粋だ。僕の人生とは真逆のような、このカフェとオーナーの不思議な空間。BGMだけが、ちょっとヨーロッパラップのアンダーな曲調で、あまり合わない。ただ、余計なことを考えずに、集中するにはもってこいの空間なのは間違いない。

が、いつもくるたびに感じる違和感はなんだろうな・・と感じる。

ふと、店内の奥に、新しい棚を新調していることに気づく。その上に、ポツンと一冊の画集が置かれてあった。それは、ホッパーだった。

なんとも印象的な表紙だ。

思わず、吸い寄せられるように手に取って、ページをめくった。
このカフェの中で観るホッパーの世界観が、今ほど染み入ったことはなかった。

そうか、ここはホッパーのcafeなんだ。

この、なんとも言えない人間の悲しさ、静けさ、無音、不穏、それを包み込むような、人生のかけがえのない瞬間・・。
ホッパーが今の時代も愛される理由は、僕ら人生において、紛れもない真実を描いているからだ。

雨が上がり、お客が1組、2組と増えて来た。常連らしい人がカウンターで豆を買っている。若い奥様は、豆について丁寧に説明している。そして、「豆のことだけ」で完結する。今日は雨ですね、とか、お久しぶりです、という言葉もない。
奥のご主人が豆を引く。ゴゴゴゴと店内に響く音は、無機質ではない。コーヒー豆の個性を引き立たせるために、このご夫婦と、カフェ空間があるようなものだ。それ以上もそれ以下でもない。

まさに、ここはホッパーcafeだった。

僕は,明日の出張について思いを巡らしている。あれやこれやと心配もあるが、そんな思考もやがて落ち着く。そして、ホッパーcafeの絵画の一部となる。石像のように。

おしまい。

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画家・ペーの日記
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