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夢は存在している。
息子(6歳)は、毎夜、夢を見ないようにお祈りをするのがルーティンなのだが、ついに「いつもお祈りしてるのに、怖い夢ばかり見るんだもん!」と堪忍袋の尾が切れた。
僕は、「どんな夢みたの?」と聞くと、「覚えてない」という。「ならいいんじゃない?」と聞くと、「だって怖かったのはわかるんだ!」と文句を言った。
そういえば僕の幼馴染(中年)が「夢は覚えていなければ、みてないってことでいいでしょ」と言っていた。それは大きな間違いだ、と反論しようとしたが、長くなるのでやめた(笑)。夢は誰しも3-5回は見ているという。レム睡眠で必ず夢を見て、ノンレム睡眠の時に起きるから、忘れる仕組みになっている。といっても、夢を見ない人たちには「無かったこと」のようだが、夢は間違いなく存在している。無意識に沈んで。
息子が言うように「覚えてなくても怖かった」という印象が残ることがある。じゃ、夢を見ないようにするにはどうすればいいんだろう?僕は息子に聞いた。「楽しい夢ならどう?」。「嫌だ!」。「空飛ぶ夢は?ドラえもんみたいに」。「嫌だ!」。「じゃぁさ、カメ飼うのどうよ?」。
息子は一瞬、考えた。そして、やっぱり「嫌だ」と言った。
僕はこう続ける。「パパはね、昨日自動販売機からお金がたくさん出てくる夢をみたんだよ。お金持ちになってガチャガチャがたくさんできるなって嬉しい夢だったよ」と言った。息子は、本当に?と聞いていた。しめしめと思って続ける。「楽しい夢ならさ、夢を見てもいいんじゃない?」と。
息子は、よくわからないと言う顔をしながら、「でもさ、楽しい夢みても、怖い夢をみることもあるんだよ。だったら、夢を見ない方がいいよ!」と言った。
僕は感心した。以心伝心とはこのことだ。つい先日、絵画教室の生徒さんに、「僕はね、よく愛犬モネの夢を見るんですよ」と言ったら、「先生、うらやましぃー。私には、天国のあの子は、ちっとも夢に出てきてくれないわ!」と嘆いていた。その時にいつも思うことがある。(代わりにその100倍、叫ぶような悪夢も見ますけどね・・。その覚悟がおありりですか?)と。意地悪だから言わないけれど(笑)。
息子はその本質を捉えている。さすが我が子。鍛えがいがある。
とりあえず、今夜のお祈りの文言を少し変えることにした。「夢はみないように」という願いを「怖い夢はみないように」と。それで、ちょっとは緩まるところもあるだろう。
夢に命を与えるのは、運次第。見ないなら見ないに越したことはない。熟睡できるのが一番だ。大学の研究にも「夢を覚えてない人の傾向は、日常が穏やかで、ストレスをうまく発散できている人」と書かれてあった。逆に夢を見る人の傾向は「日常がストレスや不安だらけの人」とか、「夢に意味を見出してる人、興味がある人」と書かれてあった。やれやれ。日常から見つめ直していかねばなるまい。
どうせ夢を見るなら、「夢は人生の親友」でいてほしいと、心から願いたいものだ。
追伸
昨夜僕が見た「自動販売機から小銭がたくさん出てきた」夢の続きがある。そのあと親父が出てきて、「ちゃんと返しなさい!」と叱られ、本来の小銭400円だけ残して、大量の小銭はきちんと封筒に入れて元に戻した。
そのことは、また後日にでも道徳の授業として、息子に伝えることにしよう。
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