生演奏を通して、日本人が本来秘めている感性「和」を世界中に広げる庶民派ピアニスト 光野 真理さん
〜Profile〜
◎出身地:愛媛県 松山市
◎活動地域:東京都 西多摩
◎経歴
・武蔵野音楽大学卒業
・(結婚し子供を授かったあと)"生演奏の感動に出会ってほしい"という想いから「愛音の会」を創設し音楽活動開始。
・(子育てが終わったあと) "より良いものをより身近に"をコンセプトに「Love Sounds」を創設。シンガーソングライターとして、人の心を繋ぐ音楽の力を さりげなく使って、封印された人 本来の力を蘇らせ、誰もが幸せを感じ、幸せを分かち合える世界をビジョンに描き、それが未来永劫に受け継がれていくことを願って活動中。
◎座右の銘:『こだわりを捨てなさい』
記者:どんな夢・ビジョンをお持ちですか?
“音楽の生演奏を身近なところで届けたい”
光野真理さん(以下、光野 敬称略):今の活動のビジョンは、音楽の生演奏を聴いたことがない人へ、実際に、人が演奏したものを、なるべく身近なところで、届けていきたい。私は音大を卒業しているのですが、音大を卒業している人たちがやっていることって、「音楽教室で講師」をやったり、演奏会も「コンサートホールで演奏」したりが多くて。なかなか身近なカフェだとかお寺・神社・野外とか、そういう誰でも音楽ファンじゃなくても身近に来やすいような場所で聴いてもらいたい。地域に密着していく中で「神社」や「お寺」について調べていくと、もともと、お寺や神社っていうのは日本文化の中心だというのがわかって、いろんな美術館だとかに行かなくても日本の文化を堪能できる。例えば、天井画や襖絵があったり建物そのものが素晴らしい日本の文化に囲まれた中で生の演奏をしたい。そういう文化も感じていただきながら、日本の音楽にも素晴らしい音楽がたくさん残されていることに気づいてほしい。ていうのはやっぱり、お寺や神社でやることで“人の心をひとつにして祈りの心をひとつにする”っていう、そういうところから生まれているという音楽の原点に戻れるんです。そして、まずは地域から繋がりを創って、本当に大事なものに気づいてほしい。そこに気づいたらどんどん広がっていくと思うんです。地域から日本へ。なにより、日本人が気付いたら強いんですよ。日本人は全部受け入れられるから。戦いは好まないから。日本人は戦争で負けた痛みを知っているから絶対に戦争しない。さっき言った“暖かい心のつながり”を日本から広げていく。日本だからできると思っている。それを伝えていくのがわたしのミッションです。日本人としての音楽活動をする。日本人の本来持っている感性である「和」を世界中に広げていく。だから、「令和」ですよ。今話していて本当に“時代が来たな”ってすごい余計思っちゃった。やっぱり若い人たちに日本の感性「和」に気づいて欲しい。その若い人たちが自分たちでそこに気づいてこれから変えていこう!って。
記者:その夢を実現するために、どんな目標計画を立てていますか?
光野:日本の感性である「和」に気づいてくれた若い人たちに日本を変革していって欲しい。そういう見えにくいけれど「本物」に気づいてくれる人を増やしていく。先日とあるお店でそこで障害持っても頑張っているシンガーソングライターの“Hiro“君っていう人がいて、その方をフューチャーして今年の3月31日にライブをやったんです。そこで本当の心の交流を世代を超えてできた気がするんです。そして、4月1日には年度が変わって、これからは「私たちの世代」から「次の世代」に伝えていく。今年は一年かけて具体的に次の世代の人たちがこの活動をちゃんと企画して運営できるようにしていく。今までは自分主体でやってきたけれど 、それを繋いでくれる音楽家の人たちに承継していくのが今年の目標です。
記者:日々どんな活動をされていますか?
光野:今の若い人たちに、このミッションを受け継いでいく時に、若い人たちは若い人たちなりの広め方があると思うのね。私たちはアナログだったから、それでもFacebookを使ったりSNSに随分助けられてるんだけど、実際に「手紙をだしたり」「足で歩いてポスティングをしたり」アナログと両面でやっています。これは毎日、空いている時間があればやる。それがわたしの使命でもあるし。寝る前は「SNS」とにらめっこしています(笑。わたし自身が有名になろうとかは無くて、素晴らしいものと出会ったら“その宝の原石”が光っていけるサポートをしたいなって思うんです。そこに生きがいを感じるっていうか。若い人たちに頑張って欲しいなって。分かち合いの世の中にしていこうよ。無いものを出し合って補い合えばいいんだもん。奪い合うんじゃ無くて出し合って分かち合おう。
記者:活動される中でどんな気づきがありましたか?
“日本の本当の素晴らしさに気づいた”
光野:もうたくさんあります。まず、日本の本当の素晴らしさに気づいたこと。私には子供が3人いますが自分の子供ができたことで、ずっとその地域が子供にとってはステキな故郷であってほしいなって。それが原点で音楽活動を始めたんです。そこから本当に美しい故郷(ふるさと)がいつまでも続いて欲しいってことで、地域のことを調べてみようと思って神社やお寺に足を運んだことで、戦後GHQによって無くされた日本人の素晴らしい文化があることを知りました。そういうものと出会って「日本人は素晴らしい文化、感動的な音楽がある。これは西洋の音楽には負けない。というか西洋と歴史が全然違う。その文化を戦後に全部無くされたんだな」ってわかったんです。私たちの世代もそうだけど、西洋の音楽ばっかり聞いていて、どっちかっていうと日本の音楽を馬鹿にしているようなところがあったのですが、この活動をやるようになって音楽だけではなく、神社とかお寺の天井画・襖絵・建物とかの日本の技術と出会って日本の素晴らしさをわかってきたんです。
記者:音楽に志を立てたきっかけは何でしたか?
光野:もともと母が保育士をやっていて家にオルガンがあって、わたしが好きそうだったからこの子にピアノを習わせようってなって。その頃はまだピアノの先生はもてはやされていたから、親が「ピアノをやっておけば食いっぱぐれがないだろう」って。母にはピアニストになりたいっていう夢があったみたいですが、その夢をわたしに託してくれたんです。小さい時にピアノ習っている時に、ショパンの『幻想即興曲』を聴いてものすごく感動して、当時の私は「この音楽に感動したように、誰にでも聴いてもらえるような庶民のピアニストになりたい」って子供心にも思ったんです。思春期には、「自分は親に敷かれたレールの上に乗っかっていくのは嫌だ」って思う時もあったけど、続けようって決心したのは高校の時に出会った高校のピアノの先生の存在があったからです。
記者:過去にはどんな活動をされていましたか?
"より良いものを、より身近に"
光野:生演奏の感動になるべく多くの人に出会ってほしいと思って、自分の子どもを授かってから『愛音の会』という音楽企画を創ったんです。その前身があって子育てが終わってから、“より良いものをより身近に”っていうコンセプトで『Love Sounds』っていう音楽企画を作って、それをずーっと続けているって感じです。「愛音の会」のメンバーはみんな子育て中の音楽家の仲間が多かったから依頼されたものに対してしかおこなってなかったけど、「Love Sounds」は積極的にいろんなところを開拓して企画して運営していこうっていう。でも、なかなかやれる人がいなくてね。今は、ほとんど一人でやっている感じです。でも受け皿がだんだんできてきて、音楽家の人たちが損得抜きで関わってくれる人たちが増えてきました。音楽そのものの力・本質をちゃんと理解して活動してる人たちに引き寄せのように出会っています。なにより、みんな優しいですね。
記者:一人でもやり続けるだけの深い意志はどこから来ているのですか?
"音楽は私そのもの。
音楽がなくなると私じゃなくなる"
光野:やっぱり、私をこの世に生んで、ピアノに出会わせてくれた親への感謝の気持ちです。次の世代の人がそういう感謝の気持ちを持って次に送っていく恩送り的なことをやっていきたい。そして、音楽は私そのもの。音楽がなくなると私じゃなくなる。これがライフワークですね。これに気づいたのも、私が親になって活動する中で、余計にそう思ったし、音楽の素晴らしさに気づいた。母親が何をやっているのかを子供たちに見てもらいたい思いもありますね。
記者:今日はありがとうございました 。
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編集後記:インタビューをさせていただいた中川・村上です。光野さんの人に対する純粋な想いに私も頑張ろうと決心が深まりました。光野さんの今後のご活躍を祈念しております。読者の方々からも光野さんへの応援をよろしくお願い致します。
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この記事はリライズ・ニュースマガジン“美しい時代を創る人たち”にも掲載されています。
https://note.mu/19960301/m/m891c62a08b36
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