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猫の分だけ空いた、心の穴。

オレは自他共に認める「猫好き」である。それも、かなり、ネコ好き男子だ。

前住んでいた家では、大家さんの猫「茶々丸」くんがいたおかげで、ネコライフとしてはかなりの充実していた。 

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今は東京でマンション暮らし(ペット不可)、ネコライフが少なくて、猫に飢えてたまに猫カフェに行くほど。 

しかし、実は昔、というか、子供の頃は、さほど猫が好きではなかった。いや、むしろ「嫌い」に近い感情を持っていた。

嫌いというか、「怖い」「気味悪い」といった印象の方がしっくりくる。決して嫌いではなかった。動物は全般的に好きなのだ。しかし、どうも子猫ならともかく、大人の猫は何か得体の知れないものを感じていた。

実家の家の周りには野良猫がたくさんいた。

裏手に住んでいる一人暮らしの怪しい中年の女の人がいて、その人が大量に飼っていて、それがどんどん増えて、野良猫化して、近所中にいたのだ。

よく、車に轢かれて死んでいたり、冬に、うちの前で凍死して、カチンコチンになって死んでる猫をよく見た。凍った猫の姿は、何とも不思議で、奇怪なものだ。

また、猫たちは発情期になると、赤ん坊の泣き声のような、時に、女の苦しそうな喘ぎ声のような、そんか薄気味悪い声を、一晩中上げた。

つまり、とにかく猫に対して、良い印象がなく、反対に、家の向かいにいたロッキーという雑種のオス犬が可愛かったし、よく懐いていたので、もっぱら「犬派」だった。

しかし、中学2年生の頃だ。

母が発病し、入院をして、退院、と、何度か繰り返した時。比較的病状が落ち着いていた頃だった?

学校から帰ると、家に子猫がいた。

驚いた、なんてものではない。父の家業は着物の「家紋」を手作業で書いたり刺繍するという職人。家には預かり物の反物(たんもの)がたくさんあり、動物なんて毛が抜けるからもってのほかだ。だから小さい頃から「犬飼って〜」という望みは、「ウチの商売ではそれは絶対できない!」と、一喝されて終わり。

だが、母親が勝手に知人から生後2ヶ月ほどの、キジトラのオスの子猫をもらってきてしまった。ちなみに母は猫好きだった。

父はかなり怒ったが、母は病気だったから強くいう事も出来ず、母もまた自分のその病状を理由にして「病気にもいいのよ」と、誰に聞いたどんな理屈がわからないか、そんな屁理屈をこね、父もしぶしぶ了承した。ただし、着物や反物がある、仕事部屋には一切近づけさせないと言う条件で。

そこから始めて、猫との暮らしが始まった。
名前は親父が「モンすけ」に決めた。家が「紋屋(もんや)」と言われる家業だったからだ。ただ、俺が「ケンスケ」なので、なんだか妙な気分だった。親も時々、モンスケとケンスケを混同して呼びつける事があった。

今考えると非常識だが、去勢はしなかった。
そこは両親ともに、「オスなんだから勝手にどっかで作る分にはほっとけば良いだろう」との事だった。

オレも「なるほど」と同意した。確かに雌猫で、ぽんぽん仔猫が産まれても困るが(オスも作ってるから同罪なのだが…)、雄ならば良いだろうと…。

そもそも、オレも同じオスとして、金玉を取るなんて忍びない。考えただけで恐ろしい。
そして、モンスケのお尻の下のぷっくりした金玉袋のかわいいことかわいいこと…。これご無くなってしまうなんて…。

モンスケは、世の中のすべての子猫同様に可愛かった。我が家はみんか可愛がった。あれだけ最初は文句たらたらだった父も、なんだかんだで可愛がったし、猫じゃらしを駆使して、運動させまくり、モンスケを鍛えた。おかげでかなり引き締まった身体の猫になった。

ただ、オレは猫アレルギーだった。猫の飼ってる友人の家に行くと決まって鼻水とくしゃみが止まらなかった。だから当然モンスケが来てから俺は鼻炎が悪化し、くしゃみ鼻水が止まらなかった。しかし、人間とは順応するもので、2ヶ月ほどで慣れてしまい、猫アレルギーはその後一度も出たことはない。アレルギーよりも、モンスケがかわいくて、大好きだったのだ。

もらい受けた当人の母は、病気で世話があまりできないし、結局入退院を繰り返す。父は借金返済のために馬車馬のように働きまくり、高校生の兄は遊び呆けていて、必然的にオレがモンスケの面倒を見ることになり、そうなると当然、オレに一番懐く。

ただし、オレも中学生だ。家庭環境もそんなのだから、イライラもするし、落ち込むことも多い。今考えると、八つ当たりのように、言う事を利かないモンスケの(猫だから利くわけないのだ)頭を叩いたり、布団に入れてやらなかったり、鍵を開けろ〜と、玄関で鳴いてるのを無視したりした。

後にも書くが、とにかく申し訳ない事をした。

しかしそれでも、モンスケの存在は俺にとって何より癒しだった。

猫というものは不思議なもので、人間が落ち込んでいたりすると、気持ちが分かるのか、まるで慰めてくれるように側にいてくれたり、普段はあまり甘えないくせに、そういう時は顔を擦り寄せてきたりする。

オレが覚えたてのギターを弾いて歌を歌っていると、近くに座って、聴いて(たぶん)くれたり、とにかく、当時のオレにとって、大事な存在であった。

夜も、布団の中に入って来て、冬は湯たんぽがわりになる。ただ、真冬の夜に外から帰ってきたばかりだと、毛が凍るように冷たくて、毎度目を覚ますことになったり、胸の上に乗っかっていて、苦しくて目を覚ましたりと、その時は腹を立てたものだが、今では良い思い出だ。

ちなみに、親父がいる時は、仕事部屋には絶対入らないが、(親父が烈火の如く怒る)いない時はちゃっかりと、父の作業机に座ってくつろいでたりする。オレも最初は叱ったが、なんだかそののほほんとした姿を見てると、怒る気力が無くなった。

多くの猫がそうなように、自分で玄関の引き戸を開けて出て行く。そんなモンスケは半分野良猫状態で、一日二日留守にする事も多かったし、ケンカして傷だらけで帰ってくる事もしばしばだっだ。去勢してないせいなのか、しょっちゅうケンカしていた。

たまに怪我が化膿して、動物病院に連れて行く羽目になった事もある。なけなしの金で、保険の効かない猫の治療費を払った。餌代と、猫砂代は親父がなんとか出していたが、基本的に、家が一番金がカツカツの頃だったから、高校生の頃は、オレのバイト代も、猫のために使った。給料日には、刺身とか、ちょっと豪華な缶詰なんかを買ってあげた。

モンスケは大人になり、2歳3歳頃になると、家を留守にする事がどんどん増えていった。三日帰らない事もよくあった。
一体、外でどんな暮らしをしていたのだろう?

ある日、高校三年生の頃だったと思うが、外でしこたま酒を飲んで酔っ払って、深夜の2時くらいに家に帰ってきたら、実家の隣の家の角で、野良猫達が集会をしていた。

猫の集会は、何度か見たことがあったので驚かなかったが、その中にモンスケがいたのは驚いた。

「あれ?モンスケ、お前何やってんだ?」

と、へべれけのオレが言うと、

「にゃ」と答える。モンスケは、話しかけると返事をしてくれる猫だった。

オレは玄関の鍵をガチャガチャ開けようとしながら、

「おい。オレは帰るけど、お前はどーすんだ?」

と尋ねたら、

「にゃー」と答え、さらに「にゃにゃにゃ」と、周りの猫たちにそんか事を言って、オレの後に着いてきた。

(猫の世界でも、言葉ってあるんだなぁ)

と、感心したものだ。

玄関は、夜はもちろん鍵をかける。
しかし、モンスケが玄関で鳴き出すと、わざわざ下に降りて、鍵を開け閉めして、入れてやる。それが面倒だった。鍵をかけ忘れる事もしょっちゅうだったが、冬場は、さすがに北海道なので、モンスケが開け放したままだと、家の中が凍りつく。

秋、くらいだったと思う。深夜に、モンスケが帰ってきた。家の前でずっと鳴いている。ほっつき歩いて、帰ってきて「開けろ〜」と、にゃーにゃーにゃーにゃー。
家にはオレ一人だ。

疲れていた。深夜のモンスケの出入りが多く、毎晩寝不足で、さらに親とか家の事で、機嫌が悪かったのかもしれない。

今までも何度かそういう事はやったのだが、そういう機嫌が悪い時は、もしくはとても疲れているときは、開けてくれと玄関先で鳴く声を無視して、布団に頭を埋めて、やりすごした。やがて、モンスケも諦めてどこかへ行ってしまう。

そして数日後に、ひょっこりとまた顔を表してくれ、その時になって、俺はいつも「この前はごめんな」と、モンスケに謝りながら、抱きしめて、ちょっと奮発しておやつをあげたりした。

だがその時は3日たっても4日たっても、帰ってこなかった。最長で、1週間帰ってこないこともあったので、さほど心配はしなかった。

しかし、モンスケはそのまま、ずっと帰ってこなかった…。

最後に交わした言葉も、触った感触も覚えてない。あまりに当たり前の存在だった。それがある日を境に、突然、自分の世界からいなくなった。

自分の感情とか、気持ちとか、モンスケへの愛情とか、何もわからなかった。悲しいという気持ちも湧いてこなかった。ただぽっかりと、心に穴が空いたような、不思議な感覚だ。

餌用のプラスチックの皿と、猫用のトイレ(ほとんど外でしてたから、元からそんなに使ってなかった)は、いなくなってからも、一年以上置きっぱなしだった。またひょっこりと、ふらっと何食わぬ顔顔で帰って来るのではないか?そんな風に思っていた。

家族が何を考えていたのかはわからない。とにかくみんな、母を筆頭に、自分の事で手一杯だったから。
もちろんオレも、青春真っ盛りで、家庭のダークサイドを払い除けるように、バンド活動や、ナンパした女の子と遊ぶ事や、仲間と街をたむろすることに忙しかった。

でも、モンスケが、いない。寂しい時や、孤立してしまった時に、ふと隣にいて、間抜けな顔をしていた猫。3年半くらいの間だったが、家族であり、生活の一部だった。

すごい、後悔してる。

あの夜、めんどくさがらず、下まで降りて、玄関の鍵を開けて家に、中に入れてやればよかった。今でも、そう思う。
心の穴は、大人になっても埋まることはなく、ポッカリと、モンスケの分の、猫型の輪郭をした穴が空いたまま、オレになった。

茶々丸のおかげで、その穴は埋まったのか?と、思っていたが、今、こうしてこれを書いていて、まだ、心にはあの時の穴が空いているし、あの時感じきれなかった、寂しい、悲しい想いが、内側から溢れている。

だからしばしの間、あの時感じ損なった心を。取りこぼした感情を、感じ切ろうと思う。

あの頃の、未熟で、無鉄砲で、小心者のくせに強がりな、寂しいとも、助けてとも言えなかった自分に、ようやく、寄り添えることができる。
そう思って、こんな文章を書いて見た。

肩と背中が悪いので、パソコンに向かえず、スマホでちびちびと書いたが、なんとか、想いをしたためる事ができて良かった。

心の穴は、心の穴を認め、許すことで、少しずつ埋まっていくのだ。

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オオシマ ケンスケ
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