暁の影(シャドウ)プロローグⅣ“追う者の記憶”
9歳の凛と天城玲奈
「ここが、あなたの新しい家よ。」
玲奈の静かな言葉に、9歳の凛はただ頷くだけだった。
母がいなくなり、知らない場所へ連れてこられた。
玲奈が経営する施設に預けられたが、凛は誰とも話さなかった。
母の失踪が頭から離れず、心のどこかで母が戻ることを期待していた。
しかし、母は帰ってこなかった。
「凛、貴女には自然の中で過ごす時間が必要よ。」
玲奈がそう言ったのは、凛が施設に来て数ヶ月が経ったころだった。
「……自然?」
「明日、一緒に山に行くわよ。列義尾山に。」
「山……? やだよー、疲れるし。」
「登ってみれば楽しいかもしれないわよ。」
凛は渋々、玲奈に付き添い、列義尾山へ向かうことになった。
登山と出会い
列義尾山の登山は、最初こそ凛にとって苦痛でしかなかった。
歩くたびに足元が滑り、何度も転びそうになった。
「まだ登るの……?」
「当然よ。頂上まではまだまだよ。」
「もう帰ろうよ……」
「弱音を吐くのが早いわね。けど、あともう少し進めば……面白いことがあるかもしれないわよ?」
玲奈の言葉に、少しだけ興味を引かれた。
それからしばらく登り続け、ようやく頂上へ辿り着いた時――。
突然、凛の前にボワッと光が溢れ、一人の女性が現れた。
月姫との出会い
「ほぉ……初めましてじゃな?」
美しい和装をまとった女性が、静かに微笑んでいた。
「妾は月姫という者じゃ。」
「つきひめ……?」
玲奈は、何も言わずにただ頷いた。
「なるほど……母上の言う通り、心を閉ざしておるな。」
月姫は凛をじっと見つめると、ふっと優しく微笑んだ。
「宜しい!妾が其方の友人になろうぞ。」
「え……?」
「妾のことは‘月’と呼ぶが良いぞ。」
凛は少し考えた後、おどおどしながら口を開く。
「……‘わらわのおばちゃん’?」
月姫の表情が一瞬、固まった。
「たわけ!妾はおばちゃんではないぞ!お姉ちゃんじゃ!」
「えぇー……?」
凛はクスクス笑いながら月姫を見つめる。
玲奈は少しだけ口元を緩めながら、二人のやり取りを見守っていた。
月姫と凛の交流
それから、凛は何度も山を訪れ、月姫と話をするようになった。
山の木々の間を駆け回ったり、花を摘んで遊んだり。
時には話を聞いてもらい、時には泣きながら悩みを打ち明けた。
「母は……私を捨てたの?」
ある日、凛はそう月姫に尋ねた。
月姫は優しく微笑み、首を横に振った。
「凛よ、其方の母はの、決して其方のことを憎んではおらん。」
「でも、いなくなったのに……?」
「其方の母上にも事情はあったのじゃろう。それでも、其方を想っておらんはずがない。」
「……」
凛は黙り込んだ。
月姫はそっと手を差し伸べると、小さな緑色の水晶を手渡した。
「これはの、妾の母から貰った代物での……其方を守ってくれるはずじゃ。」
「……守ってくれる?」
「うむ。これは、大地が選んだ者のもとにあるべきものじゃ。」
凛はその水晶をそっと握りしめた。
5. 現代の凛――緑の水晶の記憶
時代は戻る。
凛はベッドの上で目を覚ました。
(……夢?)
だが、心のどこかで違うと感じていた。
凛は無意識のうちに、部屋のチャームボックスを開ける。
そこには――かつて月姫からもらった緑色の水晶が静かに光を放っていた。
「……まさかね。」
だが、その水晶を見た瞬間、凛の中で一つの確信が生まれた。
――この秘宝を持つ資格があるのは、私なのかもしれない。
凛はゆっくりと水晶を握りしめた。
駿河台へ
水晶の重みを感じながら、凛は列義尾山の頂上を思い出した。
あの時の月姫の言葉。
母への想い。
幼い自分が持っていた、ただ一つの希望。
「……行かなきゃ。」
凛は、決意した。
駿河台へ――新たな答えを求めて。