暁の影(シャドウ)第一話『紅蓮の予兆』
月光美術館の周囲には、既に警察が配置されていた。懐中電灯の光が敷地を巡回し、厳戒態勢を敷いているのが見て取れる。セレナは、隠れながら遠くのビルの屋上からその様子を眺めた。
「警察の動きが早いわね。さて、どうやって潜り込むか……」
彼女は小さな双眼鏡で警備員たちの動きを観察した。規則的なパトロールルート、入口を固める重装備の警官たち――だが、その間にいくつかの盲点があった。
「思ったより穴だらけじゃない。」
セレナは赤いスカーフをなびかせて立ち上がった。そして、隣のビルに軽々と飛び移る。動きは猫のようにしなやかで、静かだった。
屋上から美術館のガラス天井を狙い、ロープを使って慎重に降下する。ガラスの表面に触れるときだけは手袋を外し、繊細な指先で温度センサーを無効化する。やがてセキュリティシステムが沈黙し、彼女は天井の一部を静かに開けた。
「紅蓮の宝珠、そこにいるわね。」
彼女の視線の先には、美術館の中央ホール。ガラスケースの中で、赤い宝珠が静かに輝いていた。だが、その周囲には幾層ものレーザーセンサーが張り巡らされている。
「面倒ね。でも、こういうのは慣れてる。」
セレナは呼吸を整えると、一気にレーザーセンサーの中に身を投じた。彼女の動きは完璧だった。まるで舞踏家のように軽やかに、障害物を潜り抜けていく。
「……よし。」
ついに、ガラスケースの前にたどり着いた。手袋を外し、慎重にケースのロックを解除する。内部の空気圧センサーを回避するのに数秒とかからなかった。
「これでおしまい。」
紅蓮の宝珠を手にした瞬間、彼女の背後に鋭い声が響いた。
「止まりなさい、怪盗セレナ。」
振り返ると、そこには藤堂凛がいた。黒髪をきっちりとまとめた彼女の鋭い目は、セレナをしっかりと捉えている。凛の背後には、武装した警官たちが立ち並んでいた。
「準備万端で待ち構えてたってわけ?」
セレナは余裕の笑みを浮かべた。だが、頭の中は瞬時に脱出ルートを計算している。
「あなたの動きは全て予測済みよ。今回ばかりは逃がさない。」
凛の声には自信が満ちていた。しかし、セレナはその言葉にあえて笑い返す。
「予測なんて、無意味だと思わない? 私はいつだって予測の外を狙うの。」
そう言うと同時に、セレナは手にした宝珠を強く握りしめた。その瞬間、彼女が仕掛けていた小型の閃光弾が炸裂し、辺りが真っ白に染まる。
「くっ……!」
凛が目を覆った隙に、セレナはホールを駆け抜けた。暗闇に溶け込むように、天井から脱出用のロープに飛び乗り、美術館の外へと飛び去る。
「また、やられた……!」
悔しげに呟く凛の声を背に、セレナは美術館の屋上へと姿を消した。
屋上に降り立つと、セレナは息を整えながら紅蓮の宝珠を見つめた。その光は、彼女の瞳に映る決意をさらに強くした。
「母さん、これでまた一歩近づいたわ。」
彼女は宝珠を握りしめ、月光市の闇に消えていった。
一方、遠く離れた場所でペンダントが淡く光を放つ。ミス・レディの静かな声が、闇夜の中に響いた。
「次の舞台は、もう準備が整っているわよ、セレナ。」
夜の月光市に響く警報音が、物語の新たな幕開けを告げていた。