![スクリーンショット_2019-09-19_19](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/14497038/rectangle_large_type_2_6208ff64f3daef64ba35c99cd2596aac.png?width=1200)
あたたかいものを、信じていたい。
目の前に一本の道がある。
両サイドには古びれたスナックと居酒屋が、今夜のどんちゃん騒ぎのために息を潜めている。
そこから視点を上にあげると、水色の空が見える。無造作に散りばめられた雲が少し強めの風に流されている。
僕は思わず、歩みを緩めてしまう。
今日は、そんな午後0時を迎えた。これは多分、日常だ。しかし僕はひどくその景色に没頭した。なぜだろうか。たった一つの風景が、一枚の写真のように見えたのだ。
そういえば、最近はアニメーションがとてもリアルになっている。特に「君の名は。」なんかで有名な新海誠さんの作るものは日常にある風景がとても繊細に描かれていると思う。
なんだか映画みたいだ。
最近は現実をこう思うようになった。技術の発達によりリアルとアニメーション、現実と虚構が曖昧になりつつあるこの世界では、感動の仕方さえ変わってきているのではないかと思う。
では、毎日僕らが向き合っているのは現実だろうか、虚構だろうか。
仕事も趣味も、画面の中が増えた。人と顔を会わす時間と同じかそれ以上に、インターネットに時間を費やすようになった。
この目で見るより多くの不確かなものに囲まれて生きるようになった僕たちは、本当に現実と向き合えていると言えるのだろうか。
画面の中にあるものがよりリアルで、窓の外で元気に遊ぶ子どもたちの姿が一枚の写真のように写ってしまう。
それは美しいかもしれないが、なんともいえない寂しさが溢れてきそうだ。
画面の向こうにあるものがどれだけ僕たちを没頭させようと、温度はいつも、現実においておきたいな。
そろそろ長袖の季節やね、とか。
あさくら