見出し画像

“読も” 2022年7月度 第1回|クロロカンナ

「Goodbye ART HOUSE -閉店までのカウントダウン-」
 
 
初めてARTHOUSEに出演した時の事、正直に言うとほとんど覚えていない。2階にあるピックアップイベントの張り紙を見て、「凛として時雨ってバンド名かっちょええな〜」とか言ってた事ぐらいしか覚えていない。
 
 
当時俺たちのホームは大阪の千日前にあるクラストだった。
そこに出演していたOUTASIGHTやアルカラを見て感銘を受け、ARTHOUSEに出たい!とクラストのブッカーに紹介してもらい出演にこぎつけた…ような記憶がある。(当時クラストで見たghodに憧れて枚方ブロウダウンも紹介してもらったのはまた別の話…。)
 
 
二度目の出演は覚えている。
千日前クラストで出会ったカート・コバーンに憧れた金髪ロン毛にダメージジーンズの18歳の男、K率いるUMIGAMIのイベントに呼んでもらっての出演だった。同い年だった。
「俺は狂ってる」なんて歌を歌っていた。
ドラマーの名前はJ。ジャッカルだかジョーカーだかのJだと言っていたがどうでも良かった。ハゲたおっさんだった。でも今の俺は当時のJよりきっと年上だろうな。

そのイベントには前回ピックアップイベントの張り紙で見たかっちょいい名前のバンドも出てた。バンド名だけじゃなくライブもかっちょよかった。

初めてQuの三崎さんに会ったのもたぶんその日だった。
楽屋のソファを占領して寝ている坊主頭の三崎さんの存在は恐怖でしかなかった。ライブも怖かった。
でもめちゃくちゃかっこよかった。

俺のARTHOUSE人生はこんな感じで始まった。
 
 
それから色々あったな。

LINE法度とSWGTと仲良くなった。
SWGTの解散ライブでよくわからん奴らが客席で馬鹿騒ぎしてて腹が立った。当時のスタッフのだいすけさんもキレてた。怖かった。
 
 
ARTHOUSEの打ち上げではしこたま飲まされた。飲まされたというより自主的に飲むのだ。
ビールはピッチャーで一気をするのだ。

瓶ビールはグラスが空いたら入れられる。
入れられたら一気をしないといけない。
そしてグラスが空くからまた入れられる。
潰れるまでその繰り返しだ。正気の沙汰じゃない。

爪痕を残すなんて言って毎回吐くまで飲んだ。それが常識だと思っていた。
おかげで今でも正しい酒の楽しみ方がわからないよ。
 
 
 
俺たちは大阪のバンドだった。だけどイベントを打つのはARTHOUSEだった。もう既に魂は三ノ宮にあった。
 
 
 
たいすけさんがARTHOUSEを辞めることになって、昇平さんに面倒を見てもらう事になった。
「豪快に笑う人だなあ」なんて思ってたけど、当時の俺は人見知りなんかしてコミュニケーションは他のメンバーに任せきり。
後に聞くとどうやら嫌われていると誤解されていたみたいだ。嫌いどころか好きまでありました。すみません。
 
 
そんなこんなでやってきたけど、前のバンドは喧嘩をして解散してしまった。ARTHOUSEの出演も決まっていたはずだったけど全てキャンセルし即日解散を決めこんでしまった。
その節は本当にご迷惑をおかけしました…申し訳ありません…。
 
 
 
それからしばらく音楽から遠ざかってしまった。
日に日に悔しさが増していった。知り合いが成功する話なんて聞きたくなかった。

俺はこれで終わりなのか?
チャンスはもうないのか?
一生こんな劣等感を抱いて生きるのか?

そんなことばかり考えるようになっていた。やるしかないと思った。
メンバーは見つからないけど、ひとまずドラムと二人でライブをしよう、それからメンバーを探そうと思った。

そして真っ先に連絡を入れたのはやっぱりARTHOUSEだった。

「ええやん!やろうぜ!」

あいも変わらず豪快な声で昇平さんにそう言われると力がみなぎった。嬉しかった。

そして俺のARTHOUSE人生、第二章が始まったのだ。

昇平さんがいて、ぜんくんがいて、のりおがいて、むーちゃんがいた。
意気揚々と舞い戻ったものの、スタッフの入れ代わりもあったりで受け入れてもらえるのか不安だった。が、何のことはない。今が一番楽しいまである。
俺は今になってますますARTHOUSEが好きだ。

前のバンドの時とは比べ物にならないぐらい仲間ができた。
たぶん今ここにいる仲間は死ぬまで仲間なんだろうな、なんて思ったりする。

俺にとってARTHOUSEとは青春だ。
青春の全てがここにあるのだ。

そしてこの青春はきっとまだまだ終わらないだろうし、俺の人生の宝物になるだろう。
本当にありがとうございました。一生愛してる!!
 
 
 
 
神戸ARTHOUSEのクロロカンナ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?