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“読も” 2022年7月度 第16回|ニキ

紫陽花の花が雨に映える季節となってまいりました。梅雨というのは煩わしいものです。人類は月にも行けるようになったというのに、未だに雨の日に傘をさし、足元をびちょびちょにして歩いております。傘は4000年前に発明されていたそうですが、未だに人類はそんな骨董品を使い続けております。幼い頃はよく雨空に向かってかめはめ波をうったものです。傘型のドローン早よくれ。

初夏の日差しも眩しい中いかがお過ごしでしょうか、神戸を背負って立つバンド、高松が産んだ奇跡、「ニキ」のシゲ・ビシャスでございます。

アートハウス閉店の知らせを受けて、ニキの出演出来るハコが無くなる、と息を飲みましたが、幸い再出発されるようで一安心です。
ここでアートハウスとの思い出を振り返ってみたいと思います。
我々とアートハウスの出会いは4年ほど前の事でした。

当時ニキは大阪を拠点として活動しておりましたが、どこで演ってもすべり倒しておりました。
お通夜の方が騒がしいです。
ただ、そんなすべっている空気も心地よく、「お前らに出来ひん事やったったわ!」と言う謎の達成感に満ちて活動を続けておりました。
当然友達も全然出来ず、打ち上げの時もニキは3人端っこで固まってコーラを飲みながらその日の反省会をしておりました。唯一仲良くしてくれたバンドも神戸のバンドで、「神戸のバンドと仲良くなってもなぁ…」と当時思っておりました。そのバンドこそ神戸が誇るi am you areであり、のちに大のお友達となる存在であった事を、当時の我々は知る由もない。

当時より各ライブのPAブースからは笑いの声が聞こえるものの、客席は静まり返っているライブがほとんどでした。

ただ、その日を除いては。

その日は珍しく客席から3名ほど笑い声が聞こえてきていました。
そこに向けて全力でライブをしました。

その3人こそが皆さまお馴染み神戸が誇るPaparazzi Panicの3名でした。

「うちのライブハウスでやらへん?」

当時我々は誘われたことを喜び一回だけでも出てみようか、と出演する事になりました。

初めてのライブでなんだか怖い目が虚なバーカンの人(こーちゃん)から「めちゃくちゃ良かった」と言われた事に気を良くした我々は、その後も度々出演する事を決め、のりおさんの「おもろいバンドがおる」というマネジメント能力も相まって、神戸で認知されるようになって行きました。

最初は「えー、神戸?遠いよな…どうする?また誘われたで…?」と渋々出演しておりました我々ですが、気がつけば馴染みのバンドも増えて行きました。嫁も貰いました。

これも一重に我々の能力のおかげ…では無く、のりお氏の卓越した宣伝力、マネジメント能力のおかげであると、ちょっとだけ思っております。ちょっとだけね。

ここでの執筆を依頼して頂けるようになり、アートハウスに骨を埋めようと常々思っていた矢先、骨の埋め先が先に無くなってしまいました。お墓が無い!

アートハウスと言う曲まで作ったのに一体これからどうしろと言うのか。

メンバーそれぞれの生活が変わって行く中、アートハウスと出会っていなければ、今頃は誰もお願いもしていないのにニキから重要なお知らせを21:00に発表して、関係者の皆様、対バンしてくれた仲間たち、支えてくれたお客様方に感謝の言葉を述べていたかも知れません。

幸いアートハウスは「シン・アートハウス(シゲ・ビシャスの勝手な考察)」として再スタートされるようです。
我々も心機一転新たな場所の屋台骨として、人柱となってより一層励んで行きたい所存です。

新たにバージョンアップした、シン・アートハウスとなっても益々のご盛況をお祈りしております。
 
 
それまでの間、歴戦の猛者達を輩出して行った、現アートハウスの箱、存分に味わって頂ければと思います。
たとえ無くなってしまっても、我々の心の中にあの薄暗く狭い階段、狭い受付、バーカウンター、カタカタ揺れる椅子、黒いカーテン、彩られたステージはいつまでもあの姿のままありつづけるはずです。

いつかこの日々も想い出さなくなっても、
あの頃の僕たちはいつまでも
今でもずっと走り続けて
僕たちの情熱のこの日々よ
いつまでも終わらないでいて。

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