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“読も” 2022年7月度 第26回|Lightning Swells Forever

「アートハウス、お疲れさま。」

アートハウスが閉店すると聞いて、僕は特に寂しさを感じなかった。
その時同時に新しいライブハウスの構想も聞いていたので、古いものがなくなるよりも新しいものが生まれることにワクワクしていたからだと思う。

アートハウス。
このライブハウスに通いだして18年が経った。
今年で36歳になるので、本当に人生の半分をこのライブハウスと共に過ごしてきたことになる。
おそらくこんな繋がりのある場所が生まれることはもう無いのではないかと思う。

最初に出演したバンドが解散したときに、ギターだった僕(そんときは歌ってなかった)に、当時のブッキングマネージャーのたいすけさんが「日程だけ決めるから何かやれ、最悪メンバー見つからんかったら弾き語りやな。」という流れでやったライブが、僕が初めてギターボーカルをした日だった。

25歳くらいのころ、事情があってライブをしていない時期があって、そのときに昇平さんからもらった「もうやらんのー?」というメールを「ここで終わるんか?」と解釈して、また活動を再開したこともあった。

そんなこんなで、アートハウス=アートハウスの人々と思っている僕は新しい店で変わらぬ人たちが変わらぬ思いでやってくなら良いことだらけや、と楽観的に思っていた。

しかし、そんな呑気な僕も、閉店決定後の自分のライブ中にふと寂しさが襲ってきた。
あぁもうこの空間で音を鳴らすこともあと僅かか、そう思ったときに色んな場所の思い出が蘇ってきた。

ライブの日に昼過ぎからのリハーサルでアートの階段を登っているとき、漏れ聞こえてくる他のバンドの音で緊張感が一気に高まり、ライブをするモードに入る。
昔は良くないライブをしたときは控室の隣の階段に座り込んで落ち込んでいたときもあった。
生田神社からはみ出している桜を見ると春になったことを実感するし、年越しライブのときの初詣の出店を見ると年を越した実感が湧く。
そして何より、多くのバンドが生まれて成長し、最高のライブをし、その終焉もここで見てきた。

そのバンドたちの鳴らしていた音と観ている人の声と体の揺れが空気を振動させて、あの伊豆ビルの一室をライブハウスにし、その蓄積が僕らの知っているアートハウス像を作っていたのだと思う。

おそらく新しいライブハウスも、変わらぬ人々と新しい人々が加わって、今までのノリを継承した最高の場所に育っていくだろう。
でも、あの生田神社の横のビルの3階でしか存在しない場が確かにあったと思う。

残っている時間は少ないけれど、僕はあの空気を忘れないように、体に刻んでいきたい。
アートハウス、お疲れさま。

Lightning Swells Forever ゾエ

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