今の自分の根幹にある安全願望について 〜マズローの5段階層説より〜
自分の中で、心からやりたいことなど、何だか色々と薄れているような気がする。
昔は承認欲求を拗らせた失敗もありましたが、最近は最低限の幸福を享受できていればそれで良いという感覚でいます。それでも、国民の義務や仕事を果たすことまでは忘れていません。最低限でやることはやる。
マズローの5段階層説というものがあり、昔から耳にする話ではあります。今回はこの話の深掘りのひとつもして、今の自分を測り直すことも兼ねて、考えついたことを書くことにしました。
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マズローの5段階層説
マズローの5段階層説と呼ばれる理論。経営学など様々なシーンでも応用されている、人間本来の欲求に関する話です。
この理論の根幹は「人間は自己実現に向かって絶えず成長する」という仮説にあるとされています。
自分は学生時代の個別指導塾のアルバイトでこの話を聞きました。当時は何となくの理解でしたが、社会人で様々な「生きづらさ」を経験してから、この話を深掘りすることが多くなりました。
特に大きいのは「うつ病」の経験です。完治は存在しないので、現在進行形の持病でもあります。今は落ち着いていますが、この頃から自分の中で「心理的安全性」という言葉を気にすることに。
マズローの5段階層説で言う「安全の欲求」が自分の現在地だということ。その次に相当する「所属と愛の欲求」はまだ十分に満たせていない。ひとまずはこれからの課題ということ。
自分の立ち位置は意外と低いところにあります。それが良いか否かは別として。
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自分の深層欲求とボーダーライン
このように書くと、個人の充足感の乏しさが目立ちそうですが、一方で自分は「安全の欲求」が満たされていれば、それで十分だと感じています。
昔はその上にある「承認欲求」の部分を求めていましたし、承認欲求を拗らせた過去もあります。それから今に至る段階で半ば諦観したのが、今の自分だと思います。
そして「所属と愛の欲求」に関しては、会社員なりプライベートでのコミュニティなりで、所属の方は満たせていますが、愛の方はよく分からない。
ひとつ確実に言えそうなのは、先にある「安全の欲求」こそが、自分の死守するべき最後の砦ということです。幸福度(満足度)の最低限のハードルと言えるかもしれません。
自分が社会で生き続けることにおいて、まずは心理的安全性を満たすこと。そのために必要な節制と行動を心がける。それが今の自分ができること。
その次にある「所属と愛の欲求」は課題と書いていますが、もしかしたら自分の欲求としては不要の可能性すらある。所属は必要だとは思いますが。
このように自分を置くことで、少なくとも、自分の現在地は説明できているように思いました。モヤモヤしていた気持ちの整理にはなりました。
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おわりに
個人的に好きな言葉のひとつです。自分の立ち位置はそうとしても、現実として、現在地である「安全の欲求」と課題(可能性)の「所属と愛の欲求」のいずれの場面でも、この言葉を意識したいです。
社会と折り合うことを投げないこと。自分も人間である以上は、ミスを犯すこともあります。その度に自分自身を社会から切り離したい気持ちに駆られるのですが、根本的に逃げられないんですよね。
先に示した「人間は自己実現に向かって絶えず成長する」という仮説について。果たして今のスタンスが「成長」に当てはまるかは疑問ですが、まずは自分に最低限の幸福に与えるための碇(アンカー)として、ここに書き残すことにします。
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最後まで読んで頂き、ありがとうございます。この記事があなたの人生の新たな気づきになれたら幸いです。今後とも宜しくお願いいたします♪♪
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