自分が考える文理の線引きについて
仕事もプライベートも含めて、普段の自分が素で思うことなどをここで書いていけたらと。
自身の性格(特性)を素で出している感覚なので、書いている内容も「学問」など堅苦しいことが多いです。それでも、自分の素を変に曲げるよりはと。
ただ、学問という言葉は幅広くて、ジャンルの選択も重要です。特に「文系」と「理系」の自分なりの棲み分けについて、考えるタイミングが多くありました。
その辺の整理を兼ねて、今のスタンスの話などをここで表明させて頂ければと思います。
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文系と理系の棲み分けについて
寒さが和らいできたので、外のイベントに行く機会を増やしています。大抵は自己紹介からスタートするのですが、自分は主に仕事と趣味(note)の話をします。
記事のジャンルを毎度聞かれるので、現状は理系の記事が多いと答えますが、個人的には「文系」と「理系」の話題をバランスよく書きたいと考えてたりします。
総合的に「勉強」または「学問」にフォーカスした話題が主であり、そのスタンスは崩さないですが、自分なりに「文系」と「理系」の区別はつけたいでのです。
自分なりに「文系」と「理系」の違いとは、基盤のところかなと思います。自然科学(コンピューターの類も同様)を基盤とした「理系」に対して、人間社会を基盤とした「文系」という感じです。
要するに、理系は人間が使う道具に過ぎず、その利便性を向上させることが技術革新ということ。一方で、それらの道具を如何に使いこなすのか。それが文系の役割だと思うのです。
自分の中では「文系」も「理系」の目的が違うのだから優位差は無いはず。最近の社会の流れにおいて、この辺のバランスが徐々に崩れているように見えます。
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自分の勉強(学問)の意味
学生時代を振り返ると、自分の勉強に対する意味付けは周囲の優位性のための手段でした。もちろん、勉強が楽しいと思えることもありましたが、この見方が常に見え隠れしていました。
今は少し勿体無いことをした気もします。中学で言うところの5教科は良いとして、それ以外は優位性を取りにくいというだけの理由で、自ら除外していたように思いますし、そのツケも今は少し感じています。
それでも「勉強」が好きであり、ひいては「学問」というものに興味があるのは、自分ならではの特徴だと思います。そこをより包括的に活かしていく手段として、現在の趣味(note)があるのかなと。
昔はまだ自分の中で他者比較の意識が根強く、優位性に固執していた部分がありましたが、この辺は変わりつつある気がします。
ある本にこう書いてありました。情報と知識と知恵と教養は別物だと。情報の中で自分に有用な存在を知識と言い、それを現実の問題に転用することを知恵と言うそうです。そこを経て最終的に教養に昇華されます。
そして、情報と知識と知恵と教養は常に輪のように循環します。それを回し続けることが、人生のひとつの意味なのだと思いました。
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おわりに
自分は「学問」をこの先も広く見続けたい。その過程で自分なりに教養に掛かる循環を回すこと。そこに文理の壁は不要です。それを趣味(note)の世界線で自分なりに体現していきたい。
そうは言いつつも、今年(現在)は理系の記事が連載形式の事情から大半を占めていますが、少しずつ文理に拘らないスタンスを実践できたらと思います。
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最後まで読んで頂き、ありがとうございます。この記事があなたの人生の新たな気づきになれたら幸いです。今後とも宜しくお願いいたします♪♪
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