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簡単な自分史、書いてみた⑫~最終回~

1.小学校までは優等生??
2.無気力な中高生時代
3.なんだか楽しくなってきた大学時代
4.落ちこぼれがまさかの大学院へ
5.初就職は地元を離れて派遣社員から
6.まさかの結婚?
7.妊娠ってこんなに難しい?
8.次男出産後、どん底を味わう…
9.自分がこんな働き方するなんて!
10.大器晩成型?? 今が1番楽しいかも!

10.大器晩成型?? 今が1番楽しいかも!


いよいよ最終回。
かなり平凡な人生だと思っていたけど50年近く生きてきたら
それなりにいろいろあるようで・・・ 簡単なはずが
こんなに長くなりました。

自分でも途中から飽きてました笑

さてさて前回「つづく」で終わった
「人生を大きく変えそうな出会い」

それはこれから新たに書き始めたいことです。

その出会いは昨年の春のこと、本当に突然でした。

長男のお友達からLINEが。

「川に捨てられていた猫3匹拾ったんだけどうち、犬いるから
飼えなくて。 誰かもらってくれない?」

そこには きじとらのネコ1匹とほぼ黒のネコ2匹の写真。

1匹だったらうちでも飼えるかもしれない。

そう思い、じゃけんのう@夫に相談すると
「絶対だめ!!! うちに口のついたものはもう増やさない」
といわれました。

それでもあきらめきれない私。
その年に高校受験を控えていたまつこう@長男の成績を
私がどうにかしてあげさせるから・・・ とか
猫にかかる費用は私がすべて出します とか
もう必死で頼みました。

今、思うと長男は関係ない笑

それでも首を縦に振らないじゃけんのう@夫。

私は我慢しきれずに彼ならなんとか押し切れる!!と
強行突破で猫を連れてきてもらいました。

なんとまぁ、小さいこと!!!
目も開いてなくて必死で鳴いてます

こんな小さな子どころか、私のネコ飼育経験は小学校のころに
同級生から譲り受けた猫が1週間で脱走してしまい、必死で探すも
見つからなかったという経験のみ。

もはや経験とは言えないくらい・・・

それでも不思議と不安はなくて絶対自分で育てる!!と
思いました。

無理やり連れ帰ったのでじゃけんのう@旦那は劇怒り!!
最後はいい年下おばさんが泣きながら土下座するという
カオスに根負けしたのか許してくれました。


名前は「こはく」と名付けました。

そこからはまぁなんど懐かしい!!
2-3時間おきのミルクと排泄補助。

夜中は泣いたらすぐ起きれるようにベットの隣に段ボールを置いて
寝ました。
一度4時間くらいまとめて寝てしまったときは
やっちゃった!!!と慌てて飛び起きたり。

わが子たちの時の育児を思い出して懐かしかった。
そして飲んだからといってぐずぐずして寝ないわが子たちに比べて
飲んだらすぐに寝てくれるのではるかに楽でした。

また今思うと運がよかったことにそのころは1回目の緊急事態宣言中。
子供たちの学校は休校になったために、私もそれに合わせて最初の
1ヶ月くらいは仕事を休んでいたため、じっくりとお世話ができました。

またじゃけんのう@夫も週に数回の在宅勤務が始まったり、
そのころはまつこう@長男もお世話をしてくれました。

はじめて目があいた日。
最初なかなか体重が増えなくて・・・毎日体重を測っていたけど
減ってしまっていた日は心配で会社を早退して泣きながら
病院に連れてった日。
生後2週間後くらいに熱を出したとき。
はじめて階段を下りた日。
2匹目の子が来た日。
2匹目の子が来てしばらく食べなくなったとき。
2匹目の子からうつった??ウィルス、虫?で下痢がしばらく治らなかったとき。
去勢手術をした日。
3匹目の子が来た日。

そして無事に1歳の誕生日を迎えた日!!

わが子と一緒ですべての日が思い出深い日です。

そして、こはくをきっかけに「保護猫」の存在を強く意識するようになり
2匹目、3匹目は元保護猫を譲渡してもらいました。

そして今後・・・
保護猫を支援する活動も少しずつ始められたらと思っています!

暗黒時代の中高時代のころ、こんなおばさんになってから
人生が楽しくなるなんて、全然予想していませんでした。

私の父は80近いですが、50なんて全然若い!といいます。
まぁ、80歳の人から比べると若いかもしれません笑

ですがもうあまり時間はないと思っています。
すこし、巻き気味でいろんなことに挑戦していこうと
考えています。

次回からはしばらくうちの子たちについて書いていこうと思います。



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きっちょむ
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