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早期退職を決意!57歳からの再スタート
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平成バブル期不動産投資に失敗しました。😨
40歳目前で自身を癒す(鬱)為、サラリーマンをしながら
描き始め、57歳で画家として再出発しました。
ドン底でもがき苦しんでいた当時、
弥勒菩薩を描くことがとても癒しになり、
以降週1回都内にある日曜絵画教室に通う様になりました。
そこが私にとって唯一の居場所となりました。(当時39歳)
25歳の時、転勤を命ぜられ、首都圏を転々とした後、16年ぶりに地元の
大阪勤務となりました。
生前親父に「大阪に戻るから駐車場を探しておいて欲しい」旨を伝えますと
「そんなもん自分で探せ💢」
烈火の如く怒っています。💦 ???
息子はリストラされ実家に戻ってくると思っているようでした。😅
絵は描き続けたかったので早速ネット検索後1日体験コース(写生会)
に参加しその日に入会手続きをしました。
毎週末都内の絵画教室に通っている時と同じくとても楽しみとなりました。
しかしながら親父に「休みたんびにどこフラフラほっつき歩いとるんや💢」と
一喝されました。相変わらず信用ないなあ・・・と思いながら無言でいました。
数ヶ月が経ち絵画教室に通っていることを母親から聞かされたみたいでした。
帰省先(島根県松江市)でのスケッチ(穴道湖の夕景)を親父に見せ
「いつかプロになりたい」と将来の希望を語りました。
「絵描きでメシ喰えるとでも思ってんのか。世の中そんな甘無い!💢」
またもや一喝(笑)
■ その歳からやっても無理!
■ 何考えてんねん!
■ 寝ぼけたこと言わずに現実を見ろ!等々
周囲の”声なき声"が聞こえてきそうです。
実際諭されたこともあリました。
よりによって夢を売る側であるはずの講師にさえも。
その時点で44歳。世間一般で言う常識からしてみれば、ほぼほぼ無理💦
コンペに出しても落選続き。才能のある若い人たちを見るにつけ自己嫌悪に
陥りました。😭
本業は輪をかけて情けない😭「一体全体何を頼りに生きようか💦 」
心の声が聞こえてきそうです。
不思議なことにこの世界に身をおくと
良き出会い(良き師・友)に恵まれました。
アマチュアのコンクールに初入選した時は何とも言えない
高揚感を味わいました。
(合格通知を手にした受験生の様な?!)
途中挫折しかけたことは幾度となくありました。
アマ・プロ合同のコンペに初挑戦しかけるも、親父のいる前で一言
「やっぱりプロには歯が立ちそうにない」と漏らしました。
またしても一喝💢
「そんくらいの気持ちしかないんやったらやめてまえ!!」
相変わらず手厳しいこと言うなあ・・・ 内心そう思いました。
49歳の時、国際コンクールに初入選しました。
さすがに今回くらいは耳障りの良いことを言ってくれるだろう。
「これからは人の妬みに気を付けろ!!」
期待を裏切り予想外の言葉でした。 😲
弱音を吐いたり泣き言をいうのを小さい頃から見たことは有りませんでした。
そんな気丈な親父も晩年入院検査が長引き、余程辛かったのだろうと思います。
「今度ばかりはアカンかもわからん」ポロッと一言漏らしました。
検査の結果、癌の末期症状であることを知らされました。約3ヶ月の闘病生活を
した後、息を引き取りました。
昭和一桁生まれで先の戦争時代を経験し、特に食糧には相当苦労したようです。
最近の指導法は「褒めて育てる」ことが主流であると思います。
是非はさておき私の場合、真逆でした。
ただ今思いますのは、親父なりの私に対する愛情表現だったということです。
お陰様でプロとしてスタートラインに立つことが出来ました。
「謙虚」であることの大切さを身をもって教えてくれた親父に改めて
「ありがとう!!」とお礼を言いたい気持ちになりました。