41.センテッドゼラニウム
「やあ。」
後ろから声がする。穏やかで、甘くて優しいテノール。
地声で喋る“貴族”は中々居ない。
(あいつか。)
ゼニスは振り向いたが、やはり誰も居ない。
ただ、明るい黄緑色の光の粒が、キラキラと零れて消えていくのが見える。
「悩み事かい。」
(なんだ?知らない臭いがする)
また後ろから声が聞こえたので振り向くと、今度こそ“彼”が居た。
あの日見た微笑みと袴姿のまま、焦茶に縁取られた透明な翅に黄緑色の光を乗せてくるりと回る。そうしてまた後ろへ回り込む様に飛翔し、翅を振るわせて宙に留まるのをゼニスは見送った。
「顔は浮かないし覇気が無い。」
「ちっ、どっかの誰かの所為で悩んでんだよ。」
ゼニスは舌打ちして、ようやっと視界に収めた麗人を睨めつけた。
「刀の事か、悪いね。」
「察し良すぎだろ!もうちっとこう“なんだろうなぁ”って迷えよ!?
そのついでで良いから悪びれろ!」
「ふふっ。」
図星を突かれて悪態を吐くゼニスに美しき“蜂の王子”はホバリングしたままその首に腕を回し、翅を仕舞った。
重力に従って落ちるその細い身体をゼニスは軽々と支え、抱き上げる。
「おうおうどうした。」
「…だって、この辺に書いてあるじゃないか!」
と言って、ゼニスの顔の周りをその細い指で指し示した。
どうやら笑いのツボにハマったらしい。
その間にも彼はゼニスの腕の中で躯を震わせ、くすくすと笑っていた。
「この辺?この辺って何処だ?アレか“第四の壁”とかいう」
「僕の読んだ書物には、内側から順に赤・橙・黄・緑・水・青・紫の
七つの光の層が躯から放たれており、そこから様々な情報が読み取れる
と書かれていたんだ。本当なら、興味深い記述だ。」
「…そんな事、本当にあるのか?」
「残念ながら僕には見えないけど、
コイント姉さんなら見えるかもしれない。今度尋ねてみようか。」
「…期待してるぜ。」
住処も体格も趣味も、何もかもが違う彼等は今日もお互いが新鮮だ。
ロンドはゼニスの首筋に顔を埋め、暫しその香りと肌の質感を楽しんだ。
ゼニスはゼニスでそのまま眼下に見える旋毛に鼻を擦り付け、焦茶色の髪に口づける。
そして、その頭の右側に挿さっているピンク色の花を抜き取る。
「なんだ気付いてたのか。」
「臭うんだよ、なんだこりゃ。」
「匂天竺葵《ニオイテンジクアオイ》というそうだよ。
“御殿医”が治療の一環として、精油と共に寄越したんだ。」
「…。」
ピンク色の花を警護する一対の複雑な形をした葉を擦ると、薔薇に似た華やかな香りの中に、草の香りが鼻を一刺し。
「夢も現実も直視する乙女の様で僕は好きだけど、嫌いかい?」
「いや嫌いって程でもねえけど、なんだかな。」
「じゃあもうしない。」
「いやしてて良いぜ、第一に治療なんだろ?」
「君が不快に思う事はしない。
本当は、これを君にあげるつもりで挿していたのだけど。」
「なら貰っとくぜ、グロセアとリチンが喜ぶ。」
「…。」
「?」
(何の皮肉だ?)
(僕、君以外の誰にもあげるつもりないのだけれど。)
忽然と凍り付いた空気の中で、ピンク色の花は可憐に咲いていた。
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その辺で生えているゼラニウムは、学名が違う園芸種の可能性があります(香りも虫除け効果もなし、花瓶のネタにしかならない)。
まずは葉を擦って、香るかどうか確認しましょう。
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参考ホームページ
https://horti.jp/13986
写真AC よっとこさん よりお借りしました
https://www.photo-ac.com/main/detail/4944318
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CAST
・黒金のゼニス
・“武官長”初代ロンド