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「エレファントカシマシ とスピッツの研究」 (第九回)

邂逅


他人に対して傍観者の態度がとれる人であるか、それともつねにともに苦しみ、ともに喜び、ともに罪を受くる人であるかどうかは、決定的な差異である。
後者は真に生きている人だ。(注1)

 

こんな言葉をある男は残した。


 ザ・バンドの名曲「The Weight」が脳裏を流れていく様な心地がする。

 あまりに早熟だったこの男は、判っていた。
 あまりに早熟だった故に、後者の生き方には成りきれずにいた。

 誰かと共に、詩を分かち合える、真の生きている実感が欲しかった。

 その〈体験〉こそ『詩』であるべきだ。

 彼は、リルケと同様、オーストリアの出身であったが、ウィーンの生まれであった。早熟な詩才に溢れ、その才能を活かすための教養も人並み以上に身に付けていた。

 すでに、10代から20代の間で、ものごとの真理を『詩』で表現できるまでになっていた。

 しかし、年若き彼は〈実体験〉ということに関して奥手であった。

 純粋な才能をあまりにも早く開花させるということは、その純粋な自覚に後年まで苛まれる事にもなり得る。

 自分の想い描く詩世界は自覚出来ている。だがそれを実感を伴った自分の外の世界、現実社会に自覚させる事こそ、詩人の到達すべき勤めである。

 この詩人の自覚を「鏡」のように受け止めてくれる仲間

 彼は無意識にか、或いは意識的に求めていたに違いない。


 奇しくも、1891年、詩集『巡礼行』を刊行した詩人ゲオルゲが出会ったのが、この男であった。

 ゲオルゲがこの詩集『巡礼行』で目指していた境地もやはり、自分の想い描いている詩世界、女神と直接戯れた、あの境地(第三回参照)を現実社会へと繋げるための架け橋を作る仲間、否、それ以上の関係を持てる「伴侶」を見出す事であった。この頃のゲオルゲの詩について手塚富雄先生は、

 この詩集の他の性格は、何かが求めらていることは確かであるが、何を求めているのかが、非常に一貫しては明確でないことである。
                 (中略)
全体を通ずるものは、要するにおのが孤独と詩人としての存在の根底の薄弱さとにたいする悲しみである、その欠如を埋めてくれるものへのあこがれであろう。そのための巡礼ということでは、この詩集は動機をつらぬいているのであるが、求める対象が真の意味で何かという自覚と、その対象への追求のしかたでは、われわれをうなずかせる力がよわいのである。
(「ゲオルゲとリルケの研究」昭和35年11月10日 第一刷発行 手塚富雄著 株式会社岩波書店 P195〜196)

 詩人として、或いは自身の作品の未熟さ故に、ゲオルゲは特別な才能の持ち主と交わりたかった。
 ゲオルゲはこの男の論文を読んでいた。

 ゲオルゲから観てもこの男は、完璧なまでに「詩」的天才であった。

 余談になるが、近代のドイツでこうして生身の詩の極致を詩うことに四苦八苦している遥か昔の日本で、和歌という詩の〈形式〉を使って〈実体験〉と自分の中に終始貫いている〈詩世界〉とを鼻歌のようにおのずから融和させて詩作する天才歌人が存在した。和泉式部といった。まさに生身の詩人である。


 閑話休題。ゲオルゲという詩人は、現実にも詩世界を実在せしめんと強く欲した。
 そのためには、神様と直接触れることができるほどの詩才の持ち主と出会い、深く関わり、切磋琢磨し、一つの現実世界を作りあげたかった。
 彼の主宰する芸術サークル、「ゲオルゲ・クライス」は非情なまでに厳酷であったという。そこに集う弟子たちは、夫々優れた才能の持ち主であった。
 詩集『讃歌』でゲオルゲが詩神と戯れる詩境へと達した際には、カール・アウグスト・クラインというゲオルゲを師と崇める同志を得ていた。

 そして、この詩集『巡礼行』における「同志」「伴侶」としてゲオルゲが特別に見出したのは、ゲオルゲが後に詩人としてのキャリア史上屈指の傑作詩集『心の四季』を生む上でも大きな影響を与えることとなる、この男であった。


名を、フーゴ・フォン・ホフマンスタールという。
(Hugo Laurenz August Hofmann von Hofmannsthal)

※以後「ホフマンスタール」と記す。


 詩集『心の四季』のゲオルゲの心境を思う時、私は、ロックバンド、エレファントカシマシ がレコード会社から契約を切られた後、再出発を果たした頃の名作、『ココロに花を』へと芸術を開花させたその展開を重ねて観るのである。
 この時期における両者に、私も大いなる魅力を感じるのであるが、この事はまた後に語りたいと思う。


 ゲオルゲという詩人は「詩」という芸術を追求する上で、単に言語表現だけでなく、身体表現の型を建設することにもこだわった。



 ヘラス(古代ギリシャ人が自身の気位の高さを示す呼称)の美を希求し、
体現する事で、ドイツ人の自意識に気高い美の型を建設する。

 これが、ゲオルゲの大義である。

 カフェ・グリーンシュタイドルはオーストリアが誇る芸術家の溜まり場として名を馳せた。そこの常連であったホフマンスタールが雑誌を読んでいると、誰から紹介されるわけでもなく、一人の異様な外見の男が近づいて来た。そして、時代を代表する詩人同士として交友をせがんだ。この辺りの仔細について、山口大学小粥良先生の『二つの庭 : ホーフマンスタールとゲオルゲ』 に興味深く記されてあった。

 ホフマンスタールはこの時の心境を詩にした。

 通り過ぎるひとに 

ぼくの内部にひそかに宿る
物たちを あなたは教えてくれた
魂の琴の緒にふれる
あなたは 夜風のささやきだった

また さながらに謎めいた
息づく夜の中の呼び声
はるかには雲がただよい
夢からさめると

青くやわらかな彼方へと
間近な空間は伸びひろがり
月かげを浴びた枝を透かして
かすかなおののきが湧きおこっている
               Einem, der vorübergeht
(『ホフマンスタール詩集』訳者:川村二郎 発行者:山口昭男 岩波書店 2009年1月16日第1刷発行 P153~154 )

 上掲の詩には、ゲオルゲとの出会いに、自らを進歩させる新たな希望のようなものが感じ取れる。
 だが、ホフマンスタールが出会ったその男、ゲオルゲはあまりに異様であった。
 おもわず慄いてしまう近寄り難い佇まいに、新たな出会いによる希望は、むしろ自分を支配し尽くされ、世界が閉ざされてしまうような恐れへと変わって行くのが次の詩からも見てとれる。

 預言者

とある広間で 彼はわたしを迎えた
広間は 甘い不快な香りをただよわせ
謎めいた力でわたしを威圧した
そこには異形の鳥がとまり 斑の蛇が匍い

扉を閉ざせば 生の音は消え
重苦しい不安が魂の呼吸を妨げ
魔法の酒が五官を捉え
すべてはよるべなく とめどもなしに飛びすぎて行く

しかし彼は つねの彼のようではない
眼は呪縛の輝きにみち 額と髪は異様に気疎く
さりげない低声の言葉からは
支配し 誘惑する力がほとばしる

彼はうつろな大気を旋回させ 重くよどませ
手をふれることなしに 殺すすべを知っている
                     Der Prophet
(『ホフマンスタール詩集』訳者:川村二郎 発行者:山口昭男 岩波書店 2009年1月16日第1刷発行 P155~156 )


 

  ゲオルゲは、作り上げた自身の詩集『巡礼行』の献辞を、
                   ホフマンスタールへ捧げた。

                  

               かくて予は出立し
               旅ゆく者となった
               予は求めた
               悲みを頒ちあふ友を
               しかもつひにむなし


 詩 人
フーゴー・フォン・ホーフマンスタールに
美しき感激の日の億出に
    ヴヰーン 一八九一年
(「ゲオルゲ詩集 第一巻」『GEORGE. Hymnen / Pilgerfahrten / Algabal. 』 訳者:小城正雄 第三書房 1957年9月発行 p44 )
※「ヰ」は小文字

                           

                             つづく



 

 引用文献

(注1)『友の書』ホフマンスタール著 訳者:都筑博 発行者:津曲篤子 印刷者:和田重春 彌生書房 1972年5月10日初版発行

 


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