カノッサの屈辱 Gang nach Canossa (独). Umiliazione di Canossa (伊). 1077年1月25日〜1月27日
カノッサの屈辱 Gang nach Canossa (独). Umiliazione di Canossa (伊). Road to Canossa / Walk to Canossa / Humiliation of Canossa (英).
近年の欧米では、「屈辱 Umiliazione (伊). Humiliation (英).」の単語を当てるのは中立的で無い (と言うか恐らく実情に合ってない) ので、
カノッサへの「道 (経緯) Road (英). Gang (独).」と呼ぶとのこと。
ローマ教皇グレゴリウス7世 Gregorius VII. (1020年?-1085年5月25日 [在位1073年-1085年]) に破門された
神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世 Heinrich IV. (1050年11月11日-1106年8月7日 [在位はローマ王としては1053年から、イタリア王としては1080年から、西ヨーロッパローマ皇帝としては1084年から、いずれも終世 ] ) が、
グレゴリウス7世の滞在するカノッサ城に行き、赦しを乞うた事件。
雪の中立っていたというのは脚色だそうですが、
やっぱりこれは外せなくなりますよね。
インパクト的にも。
この時、赦しを乞うた皇帝ハインリヒ4世は26歳、
破門した教皇グレゴリウス7世は57歳くらいですから、
教皇の方が父親ほどにも年上ですね。