「お水取り」で「青衣の女人」はやはり大きい存在だった (リライト増補版)
東大寺二月堂で3月1日から毎年行われる「修二会」( しゅにえ。通称「お水取り」)。
5日と12日 (※1) に東大寺に縁のある人々の名を記した「過去帳」を読み上げ、その中の「青衣の女人」( しょうえのにょにん ) が謎の存在として、マスコミやネットなどでよく話題になります。
「神名帳」の読み上げの後、数分ほど間を置いて午後10時頃から「過去帳」の読み上げが始まりました。
と言っても、「これから過去帳が読まれます」などの説明はそこでは特に無く、
私は事前に「過去帳」の奈良国立博物館の特別展示で陳列中の古い実物とネットでの図版から
「青衣の女人」の名の直前に書かれている方々の名前を暗記していたので、
その方々の名が読み上げられた時 ( 10時39分頃 ) に、今が「過去帳」を読み上げている時だとやっと確信して、
耳をそばだてました。
すこし間を置いて、直前よりも低い声で「青衣の女人」と読まれるのは、
マスコミやネットで書かれている通りで、
その指示は「過去帳」に記されていますが、
かなり低く読むために (一部ネットで書かれている通り) なんと読んでいるのか殆ど聞き取れません。
やはり直前の名前を暗記しておかないと分からなかったと思います。
そして、マスコミなどで聞いたことがない点ですが、
低く読む部分がすこし長く、
「青衣の女人」だけでなく、続く名前 (※2) も同じ低さで読んでいるのではと感じました。
注目したのは、
その二人分ほどの低い読みの後、また数秒の間を置いて、
今度は早くて聞き取れないほどの読み上げが続いたことです。
( テープの早回しかと勘違いするほどの驚嘆すべき早さの読み上げは、
直前の「神名帳」の後半でも聞かれましたが。)
つまり、
「聞き取れる早さでの読み上げ」の殆どラストの箇所に位置する特別な存在が
「青衣の女人」であって、
それだけの大きさ・重さを持っている印象を受けました。
このブログで「お水取りは吉備皇女・長屋王一族の鎮魂が本来の目的である」という説を書きましたが、
「なぜ私の名を読まない」と出現した「青衣の女人」も
吉備皇女をあらわした存在だ
との説も、ほかのところで書いたことがあります。
改めてその思いが強くなった感じがしました。
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上の記事は、本ブログで2019年に公開している記事 (
) [※3] のリライト増補版です。
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※1.
12日の二月堂は関係者の参観が優先となり、一般客は局 (つぼね) などの席を取るのが困難となるそうです。
2022年は修二会の参観を制限。
※2.
読み上げられる「過去帳」の写本 (複数有り。画像Tweetを下に貼出) の記載は
「青衣女人 別當延杲大僧正
造東大寺勧進大和尚位南無阿弥陀佛」
延杲 (1124年-1206年3月12日) は第100世東大寺別当 (住職に相当。在職1203年-1204年)で、1203年11月30日大仏殿 (鎌倉時代再建 [大仏は1185年開眼、大仏殿は1195年に落慶供養] 直後の) 総供養の導師。藤原能忠の子。
過去帳では右に「エンゴウ」と書かれた写本有り。
次行の「造東大寺勧進大和尚位南無阿弥陀佛」は東大寺大仏鎌倉時代の再建指導者 (勧進職) の重源のこと。
上に小赤点や赤く「早」の字を書いた写本があり、早く読むのはここからと思われます。
🔍 奈良国立博物館公式Tweet. 東大寺過去帳
※3.
この2019年「オリジナル版」は21年7月5日に本ブログのIDを変更するまではグーグル等の「青衣の女人」検索上位に有り、アクセスも多く頂いてました (本ブログ記事アクセス数2位) が
ID変更直後からグーグル等の検索に出なくなり (検索結果最終ページでの「再検索」項をクリックすると5ページめ辺りに出ます。)
本ブログ内にはリンクを幾つか出してますが、外からは殆どアクセス不可能となったらしく、アクセス数が急減しています。
2023年初め頃に青衣の女人のオリジナル版記事にアクセスをまたすこしずつ頂いてるので「青衣の女人」をグーグル検索してみると、検索結果3ページ目辺りへの「復帰」がなされていました。
2023年6月15日、同記事へのアクセスを一日100以上頂いたのでグーグル検索すると、用語解説欄とYouTubeの次、一般記事ではトップに出ていました。ありがとうございます!
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📔 本ブログ内関連記事 (一部)
[過去帳を早く読むことについて]
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(2022年3月記事公開。16日23年2月6月10月更新)