694年藤原京遷都、784年長岡京遷都 (12月27日)


宮跡史跡訪問録

先日、久しぶりに難波宮跡に行き、写真を撮ってきました。

おおよその全体を撮るのに続けて二回行きました。

平城京跡、近江京跡、恭仁京跡、紫香楽京跡、長岡京跡、平安京跡 (羅城門跡) 、 
石神遺跡、宮滝遺跡、桂離宮、修学院離宮と巡り、写真を撮ってありますが、
(数年前に購入した) デジタル一眼レフなので画像をパソコンからブログにそのままでは載せれず、もうすこし手間と費用がかかりそうであります。 [※1]

小墾田宮跡、飛鳥浄御原宮跡 (推定地)、藤原京跡、平安宮跡 (大極殿跡) 、京都御所も時間が空けば、行ってまいります。(いずれも行ったことはあるのですが、デジタルカメラでは写真は撮っていません。)

藤原京の西辺に近い畝傍山には、この夏登り頂上からの耳成山や天香久山の眺めを撮ってきました。

📔ブログ内関連記事リンク [難波京 (飛鳥・奈良時代の一時期) について] 

/📔同 [近江京遷都 (667年) /アイコン写真の交差点周辺が近江宮中心部の内裏正殿跡地点] 

📷 (藤原京 694-710年) 畝傍山頂からの写真 耳成山と天香久山

[📷 畝傍山頂から耳成山を望む]

画像7


画像4

[📷 畝傍山頂から天香久山を望む]

画像2

(耳成山は二度登ったことがありますが、写真は撮ってません。[※2]
二度というのは、耳成神社まで一度登ったものの、山頂はその神社よりさらに登ったところだと麓でわかって、直後もう一度登り直したのであります。)

(関連資料) ◯ GoogleStreetView [藤原宮跡 (694-710年 特別史跡)]   

◯真北から見た画像 /中央の木々の位置が大極殿跡]

◯大極殿院を真南から望む / 奥の木々が大極殿跡、その背景に耳成山 [右 (東) を見ると天香久山、左 (西) に畝傍山。/この画像の埋込が成らないため、URLでの貼出]   

https://www.google.com/maps/@34.4980788,135.8074879,3a,75y,90t/data=!3m6!1e1!3m4!1sFEV1zbNW54YmsbT-t1QruQ!2e0!7i16384!8i8192?entry=ttu / 

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📔ブログ内関連記事リンク [平城京遷都 (710年) /難波京遷都 (744年など。上出)] 

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⚪️恭仁京、紫香楽京 (奈良時代の一時期) の広大さ

恭仁京や、特に紫香楽京は聖武天皇が地方の狭い区域に建てたというイメージがあるかもしれませんが行ってみると、
どちらも平城宮跡と大差無いほど大変広大なスペースが有り
そこが京跡中心部であると、発掘調査により認定されています。

/📔 恭仁京、紫香楽京など 

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◯ GoogleStreetView [長岡宮跡 (784-794年 史跡) 大極殿前 (南) 宝幢跡 (画面奥の赤い柱が復元の宝幢) を真北から見る]

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⚪️平安京 (794年遷都)

🔍オーバーレイマップ (立命館大/京都市平安京創生館)  

https://www.arc.ritsumei.ac.jp/archive01/theater/html/heian/ / 

◯ GoogleStreetView [平安京大極殿跡に相当する地点 (真南から見た画) / この画像の埋込が成らないため、URLでの貼出]  

https://www.google.co.jp/maps/@35.0182991,135.7425901,3a,75y,90t/data=!3m6!1e1!3m4!1sqpJ37jSJxMgb7ha0EsJC5g!2e0!7i16384!8i8192?entry=ttu / 

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※1
このブログの他のページにも載せている写真はコンパクトデジタルカメラで撮ったもので、そのカメラは故障してしまいました。
 (一眼レフと同じメーカーですが、画像の互換性は殆ど有りません)

〔 20年12月、一眼レフの画像も貼れる機能となったことに気づき、過去の記事にも一眼レフ画像を追加しています。

ただ、いくつかのSDカードが「壊れている」らしく、貼れない画像も多数ある状態です。

 [2020年12月加筆] 〕

※2
「みんなのフォトギャラリー」でkumanominoteさんのお写真をヘッド画面に引用させて頂きました。
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📷 (関連) 畝傍山麓 畝傍山からの二上山写真 

📷 畝火山口神社から二上山を望む

画像5

📷 畝傍山登山道

画像3

📷 畝傍山頂近くから二上山

画像6

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関連資料 ⚪️ 入江泰吉と小津安二郎 

小津安二郎監督映画 「麦秋」 と入江泰吉写真での耳成山 

🔍 ブログ「ロケ地訪問」さんの記事


小津安二郎監督の映画「麦秋」(1951年) のラストに耳成山が写りますが、撮影前に小津監督は奈良を撮り続けた写真家入江泰吉に会ったとのこと。
アドバイスを受けたのでしょうね。それなら、入江泰吉が奈良をテーマにし始めた終戦直後から6年程で (入江初の本格的個人写真集「大和路」出版の1958年以前に)   もう奈良の専門家としての地位が確立されてたことになり、早さに驚きます。


🔍 ブログ「奈良歴史漫歩」さんの記事 / 入江泰吉撮影の耳成山山麓写真等

◯ GoogleStreetView (耳成山 南南東麓) 


小津安二郎監督映画 「宗方姉妹」 と入江泰吉 / 耳成山画像比較


🎞 松阪市公式YouTubeChannel 『歴史民俗資料館 企画展「小津安二郎と入江泰吉」』(2022年7月) / 知り合うきっかけは志賀直哉 /小津安二郎監督の1950年の映画「宗方姉妹」の奈良・薬師寺ロケ画像 (出演の高峰秀子の所蔵写真)。ロケ隊を入江泰吉が撮影、志賀直哉が訪問 /小津安二郎から入江泰吉への礼状 /入江泰吉が1959年5月撮影した耳成山山麓写真と、小津安二郎監督の1951年の映画「麦秋」ラストシーンの耳成山画像 [📝手前の大和棟の民家の配置から、入江写真と同じアングルだと分かる。入江写真では耳成山の左後ろに二上山が写り込んでいる事から、耳成山を東南東くらいの方向から撮ったと考えられます。]/

🔍 ウィキペディア「宗方姉妹」/ アイコン画像で田中絹代と高峰秀子が立つ場所は薬師寺金堂 (当時。新金堂建立時の1974年に興福寺へ移建、2018年の興福寺中金堂再建以降は仮講堂となっている)。遠景は薬師寺東塔。

🔍 ウィキペディア「興福寺 (伽藍 仮講堂など)」
https://ja.wikipedia.org/wiki/興福寺#伽藍 /  
🔍 ブルータス記事 志賀直哉と小津安二郎https://brutus.jp/ozu_shiga_friend/ / 


📔 ブログ内記事

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(随時更新。7月12月21年2月22年7月23年12月更新。記事末尾のハッシュタグの順番はブログ筆者が意図したものではありません。)


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