「法隆寺七不思議の 『鯛石』」 と中門の礎石と不開門
📷 法隆寺南大門 (室町時代 国宝)
📷 南大門の石段の前にある敷石が「法隆寺七不思議」のひとつ「鯛石」(たいいし) です。洪水時にもこの石より水位が上がらないとのこと。
中門の (特に中央の柱の) 礎石 (後出) に形、大きさが似てる感じがします。
中門正面の柱間が偶数 (四間) で出入り口の中央に柱が立つ特殊な形式が「聖徳太子の怨霊封じ」であるという説 (梅原猛) がありますが、
その「怨霊史観」に基づけば、南大門前の鯛石は中門礎石と似せた石によって「封じ柱」を仮想したものと考え得ます。
[📷 南大門から中門、五重塔を望む]
[📷 中門 (国宝) 手前が「中央の柱」]
[2018年11月撮影]
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🔍 日本経済新聞記事 「法隆寺七不思議」
🔍 タクヤさんの記事「法隆寺の七不思議」
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関連
[[📷 法隆寺東院南門 (不開門 あけずのもん 室町中期) ]
[📷 法隆寺東院南門 (不開門) 後ろが礼堂 (らいどう)、その屋根越しに聖徳太子等身仏と伝わる救世観音像を祀る東院本堂 (夢殿) の宝珠が見えます。明治時代にフェノロサが公開を命じるまで、救世観音像は絶対秘仏で布に巻かれ、封を解くと伽藍が崩壊する程の祟りがあると言われていたとのこと。フェノロサが来なければ、今でも秘仏のままだったかもしれませんね。梅原猛が不開門に言及していた覚えはありませんが、西院中門が「怨霊封じ」であるなら、この異例の開かずの正門も「封じ」の表れそのものでは。]
[📷 礼堂 (画面左) と南門 (北面. 画面右)]
[📷 礼堂 (北面) 鎌倉前期]
[📷 東院本堂 (夢殿) 天平時代]
[2018年撮影]
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🔍 よしやんさんのブログ「法隆寺礼堂」
📝 私も内部と正面 (南面) を初めて見ました。検索でも殆ど出ないレアな画像。北面と同様の蔀戸なんですね。
かつては、この位置は中門があったそうですが。
🔍 文化庁文化遺産オンライン「法隆寺」明治5年 1872年 横山松三郎撮影 (重文) / 📝 東院南門 (不開門) でしょうね。開けられて、奥の礼堂も蔀が上がり、夢殿まで見えているのでは!
🔍 文化庁文化遺産データベース「法隆寺東院南門 (不明門)」
https://bunka.nii.ac.jp/db/heritages/detail/146388 /
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(12日ブログ記事公開。12日13日21年3月8月22年10月[タグ追加],23年1月更新)