世界遺産・法隆寺の建築 旧僧房
僧房 (そうぼう) とは僧侶が寝起きした建築で、古代の寺院では金堂・塔などの中心伽藍を囲む位置に細長く作られた建築を棟割りして住んでいたそうです。
📷 三経院 (さんきょういん 国宝。西室 [にしむろ 西僧房] の南半分 (七間) を改築したもの。三蔵法師玄奘 (げんじょう) の命日に三蔵会が行われる。北半分 (十二間) はそのまま西室と呼ばれ、こちらも国宝。鎌倉時代の再建 [1231年 (三経院)、1268年頃 (西室)])
📷 同
📷 夏安居 (げあんご) が行われている西室 (国宝) の西面
📷 三経院西面と「西室の門」
📷 三経院南端部の西面 側面軒の一番低いところ (軒先) に正面庇の上部を、高さで合わせてないんですね。
📷 聖霊院 (しょうりょういん 国宝。東室 [ひがしむろ 東僧房] の南半分を鎌倉時代 [1284年] に改築したもの (※1)。聖徳太子成人像 [国宝 平安時代] が祀られ命日法要「お会式」[おえしき] が行われる。北半分は東室と呼ばれ、こちらも国宝 [奈良時代])
📷 同 右隣が妻室 (つまむろ 僧房 重文 平安時代)
📷 聖霊院の東面
📷 同
📷 画面左手前が聖霊院、左奥が東室 右が妻室
📷 東から見た建築群。画面奥から五重塔と金堂の屋根、聖霊院・東室、妻室、馬屋。
「棟続き」ながらも南半分の聖霊院の屋根が、北半分の東室より高く改築されたことが真横から見るとよく分かります
(かたや、三経院・西室の方は屋根の高さが同じで、言わば「一つ屋根」となっています。
三経院と聖霊院では南の階段の段数は同じようですが、聖霊院ではそこから上の、床・庇の間 [壁部分]、庇・屋根上端 (大棟) の間 [屋根部分] の高さが増して行き、それだけ三経院よりも嵩が有って大きい建築となっていることに気づきました。
「太子信仰」重視の表れなのでしょう)。
[2018年5月19日撮影]
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※1
奈文研の「法隆寺の子院に就いて」 (リンク下貼) によると、東室の1101年-1110年の顛倒 (てんとう 倒壊の意) 後、1121年の復興時に南端が聖霊院とされたとのこと。
🔍 奈良文化財研究所 「法隆寺の子院に就いて」
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🔍 文化庁文化遺産データベース (文化遺産オンライン) / 法隆寺聖霊院 / https://bunka.nii.ac.jp/db/heritages/detail/146398
🔍 同 / 法隆寺律学院本堂 / 法隆寺東大門すぐ東北の律学院内。法隆寺聖霊院に酷似。 https://bunka.nii.ac.jp/db/heritages/detail/175972
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(14日記事公開。14日夕頃から写真をクリックした拡大画が、PC画面一杯に広がった大きさでなくなり、画質も上がらなくなってますが。15日22年2月23年2月更新。)