悲田院 Photograph

画像1 阿弥陀寺 (奈良市南風呂町) 境内にある悲田院観音堂。奈良市南城戸町にあった悲田院からの移転。
画像2 同。戸口から覗くと、左手に阿弥陀如来、右手に薬師如来と腕人形のごとく仏像がある、本尊の「三躯一仏」観音立像が見えました。/🔍 悲田院関連記事 (「世に倦む日日」さんブログ記事「東大寺整肢園」[2008.3.] 『奈良朝の素晴らしさは、この社会福祉施設に尽きている。』『国家による事業として奈良朝は貧しい患者に無料で治療を施したのだ。』『現在の日本の県庁や厚労省の対応と較べて対照的である。どちらが古代の日本なのだろう。』) https://critic3.exblog.jp/8184670 /
画像3 南城戸町の悲田院跡に残る悲田院地蔵堂 (東面。下述)。悲田院跡の敷地は殆どが南城戸町ですが地蔵堂は境を接する陰陽町に入っています (Google map)。723年に興福寺内 (半田町の辺り) に救護施設として設置された悲田院 (史料で確認し得る日本の悲田院の初出) は1532年の土一揆で消失し南城戸町に仏像が移転、1656年に阿弥陀寺の専阿古山上人がこの地に悲田院を再建。入江泰吉の1955年頃の写真「悲田院遊場」があります。本堂は老朽化で1989年撤去、観音堂が北西の阿弥陀寺に新築されました (上貼)。
画像4 南城戸町から東の陰陽町へ登る坂道。画面手前の南北道を南 (画面右) へ行くとすぐ左手に興福寺五重塔東から移転した「塔の茶屋」があります。更に60メートル程南行して左手の、柵門 (2020年Googleストリートビューで見ると施錠。) がある空き地へ (東へ) 入って振り返った位置に上貼の悲田院地蔵堂が建っています。/ 記事写真2018年6月14日撮影 / 22年10月更新 /📖本ブログ陰陽町関連記事 https://note.com/artandmovie/n/n13468056df47

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