鹿塚 Photograph 10 ART AND MOVIE 2021年5月12日 02:22 鹿塚 (しかづか)。藤ノ木古墳のおよそ南西1キロ。鹿塚と刻んだ大正時代の石碑が頂きに有ります。平安時代の「聖徳太子伝暦」に舎人の犬が鹿を襲ったことの意味を太子が悟った伝承があり、その鹿の墓と言われています。 古墳と考えられていたものの、発掘調査で石組遺構から出土した灯明皿などから江戸時代の信仰施設と判明したとのこと (🔍 県WP. http://www.pref.nara.jp/miryoku/ikasu-nara/bunkashigen/main00054.html )。ネットで調査の詳細が出ないのですが、横穴式などの古墳の形式で無かったということでしょうか。 法隆寺中門からほぼ南西500メートル先に藤ノ木古墳、そこから(200m先の甲塚古墳を挟んで) 300mが御坊山3号古墳跡、更に500mの神代古墳から200m先 (やや南寄り) に鹿塚が、ほぼ一直線に並んでいます。西に信貴山が望める高台西端の傾斜地。/ 法隆寺方向から西行すると住宅地の下り坂の左手、すこし南 (左) へ引っ込んだ所にあります。前が駐車スペースで、初めての人は見えずに通過するかもしれません。/ 2019年2月5日撮影 / 17日記事公開 22年10月[タグ追加]更新 いいなと思ったら応援しよう! チップで応援する #奈良 #聖徳太子 #本と写真を読む #画像投稿版 #タテ枠見出し画面 #大和路の伝説 #東の駒塚から西の鹿塚 #鹿塚 10