ボランティア研修③異国情緒ってなんだ
長崎“ゆかり”とスペイン美術
宇多田ヒカルのベストアルバムが素晴らしい。デビューから話題になった時期はまだ自分も10代前半であまり歌詞も理解できなかったが、いま聞き返すと改めて心に響く曲がたくさんある。First Loveとか、え、すごくない?もっと評価されるべきでは…。
そんなことをぼんやり考えながら車で美術館に向かうと、到着がギリギリに。早足で階段を上がる。下り坂の天気、肌寒い。一枚羽織るものを持ってきてよかった。
アートボランティア・アートコミュニケーター「よりより」合同研修の第3回。今回は長崎県美術館の所蔵作品について、学芸員の方からレクチャーを受ける。スライドに映し出される作品と分かりやすい解説はとても興味深く、まさに美術の講義の時間。1時間×2の濃厚な内容は、折に触れて思い返して咀嚼したいものだった。
長崎県美術館は、長崎ゆかりの美術とスペイン美術という二本柱で作品の収集・展示・保管・修復・研究を行っている。
まずは長崎ゆかりの美術について、学芸員の方から解説。そもそも長崎“ゆかり”という定義が曖昧だが、まさにその点についても言及があった。
「『長崎ならではの美術の特徴はありますか?』と聞かれることもあります。出島を起点とした異国文化の交わりや、戦争・平和・原爆というのは大きなテーマですが、それで長崎ならではの美術と言えるのか。地域性だけで語るのは難しい面があります。なので特徴を聞かれても“ない”と答えになってしまったり…(笑)」。
美術を体系的にまとめることの困難は、なんとなく想像できる。そうした中でも、長崎における美術の変遷について大まかに話してくださった。
その後、スペイン美術について別の学芸員の方から解説。長崎県美術館といえば「須磨コレクション」というイメージがあったが、そもそも須磨さんがどんな方なのか、前身の長崎県美術博物館からの繋がりなど、これまで知らなかった内容が多く、終始メモが止まらなかった。なぜ長崎でスペイン?と漠然としたイメージで考えがちだったが、様々な歴史があり、伝え残そうとする人たちの情熱がそこにあったのか。それにしても、ピカソの本物の絵が長崎でいつでも観られるのって、やっぱり贅沢だ…。
異国情緒という言葉
今回の話を聞く中で考えさせられたのが、長崎における“異国情緒”という言葉の在り方。長崎県美術館では近世以降の作品を中心に所蔵している。つまり鎖国時代は過ぎて、外国文化の窓口は出島だけではなくなった頃だ。それでも交流の歴史や今も残る街並み、独自の文化を求めて多くの作家たちが来訪。“長崎派”という日本・中国・西洋の入り混じった絵画を表す言葉まで生まれるのは相当すごい。「特に戦後、長崎のもつ“異国情緒”というイメージを、地元から意図的に発信していった動きがあった」と学芸員の方もおっしゃっていて、ある程度成功したのだと思う。
しかし時代が移り変わり、海外渡航が自由化。個人が自由に異国へと足を運べるようになる。さらに高度経済成長の波を受けて、徐々に長崎の街並みも変化していく。そうした中で、少しずつ長崎ブームのようなものが落ち着いていったそう。今でも長崎のまちづくりの議論の中で「壊すのか、残すのか」がよく問われているが、その歴史というか、この数年ではなく数十年に渡って長崎が向き合ってきた課題の深さを改めて感じる。
そして“異国情緒”という言葉。これはライターとして長崎の観光記事を書く際には、時折使うことを強いられたり、ついつい安易に選んでしまいがちだ。しかし本当の意味での“異国情緒”とは何なのか。街並みが外国風ならいいのか、日本では珍しい食べ物があればいいのか。そうではないはず。そこには文化と歴史に裏打ちされた、その場所ならではの空気感のようなものが必要だと思う。それらを構成するのが街並みであり、食であり、景色であり、おもてなしなのだろう。
話が脱線してしまった。学芸員の方は、最後にこう話していた。
「いまお話した内容は、あくまで現段階でのことです。これから美術館として調査・研究していく中で、変わっていくものだと思います。そうした歴史の捉え方の変化はあってしかるべきで、そこに面白さがある」
長崎における“異国情緒”の在り方も、建物も、人も、これから変わっていくのだろう。少なくともそれがワクワクする方向であってほしいし、前向きな変化であることを願いたい。