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ゆるやかにつながる場所をつくる|アーツ千代田 3331ディレクター 中村政人

《テキスト・アーカイブ》
日時:2021年8月18日17:00~
場所:アーツ千代田 3331
(〒101-0021 東京都千代田区外神田6丁目11-14)
HP:https://www.3331.jp/

8月18日、ART ROUND  EAST(ARE)に加盟する「アーツ千代田 3331」の統括ディレクターで、AREの設立メンバーで相談役も務める東京藝術大学教授・中村政人さんに、アーツ千代田 3331設立の経緯や、これまでの活動とそれを後押しする思い、コロナ禍でのアートプロジェクトの展望について話を伺った。取材場所でもあるアーツ千代田 3331は、閉校した中学校をリノベーションして2010年に開設されたアートセンター。学校の面影を残しながら、ギャラリースペースやカフェなどがある、市民に開かれた自由に集える場となっていた。

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3331は、「ここにいること」を祝福する場所

中村さんが統括ディレクターを務めるアーツ千代田 3331は、地域とのつながりを生むワークショップや新たな表現に触れることのできる展覧会など、コロナ感染症の拡大前は年間約1000ものイベントを行い、活発なアートスペースとして人々に親しまれてきた。この施設の名称「3331」は、「シャン・シャン・シャン」という三拍子を3回打ち最後に「シャン」と1回打つ、江戸時代から受け継がれてきた江戸一本締めに由来するという。三拍子3つの合計9は、漢字では苦と九であり、最後に「シャン」と打つことで苦を払い、1画入ることで、「九」が「丸」くなり、縁起が良いとされている。

中村さんは、江戸一本締めについて「そこにいる人たちが丸くつながる。手を叩くだけで、一瞬にしてその場にいる人達がつながるオペレーション」だと説明した。そして、「江戸一本締めのように日常の中にごく当たり前に存在し、人々がある瞬間つながったと感じ、ここにいたことに充実感を感じられるような場」になることを願って、この施設は名付けられたという。自分の存在を肯定できるような、そこに集った人々を「寛容性を持って受け止めてくれるような場所は、批評性のある鋭い表現の生まれる場所だ」と、中村さんは考えている。

そんな思いの込められたアートセンターの設立に、中村さんは構想段階から関わっていた。これまで千代田区を拠点に、作品の展示やゲリラ的な芸術活動を行いながら、行政側にアートセンターの必要性を訴えてきた中村さんは2006年から1年間、千代田区の遊休施設の利活用を考える「ちよだアートスクエア実施委員会」に学識経験者として参加。その話し合いにおいて、遊休施設の使い方や考え方などのディレクションに携わったことが現在のアーツ千代田 3331の実現に大きく寄与したという。「あのときの会議で別の場所が選ばれていたら、今のような3331はできていない」と振り返った。

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情報が溢れた現実と対峙する

中村さんはこれまで、作品を制作して美術館やギャラリーで展示するという表現方法に加え、それらの空間から出て街の中に作品を展示したり、パフォーマンスを行ったりするなど、数多くの表現方法を試みてきた。その活動の一つとして挙げられるのは、「THE GINBURART(ザ・ギンブラート)」だ。銀座の街の中にゲリラ的に作品を設置したり、パフォーマンスを行うことで、コマーシャルギャラリーや貸し画廊が多く立ち並んでいた銀座に、新たな流れを生み出そうとした活動だ。その他、新宿歌舞伎町の路上でも「新宿少年アート」というゲリラ的展覧会を行い、「秋葉原TV」では参加作家の映像作品を、秋葉原電気街にあるたくさんのTVモニターで上映し続けた。

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(《駐車禁止/鍵穴型01》 1993年撮影 アーツ千代田 3331提供)

このように、これまでの美術の主流である、美術館やギャラリーのいわゆる「ホワイトキューブ」の中にとどまらず、中村さんはその外でも活発に活動を行ってきた。複数の街で活動を行ったことで、それぞれの街が持つ属性の違いについての発見もあったという。街によって、作品を受け入れる寛容性に違いがあったと話し、その街の持つ歴史や文脈が、作品を受け止める寛容性に影響を与えていると説明した。

これらの活動の動機について伺うと、当時を振り返り「実際の街に出ると、埒が明かないほど情報が多かった」と苦笑い。美術館やギャラリーの内側の狭い領域のアートだけではなく、その外に出て、「社会のすべての領域に対して、ある種の批評性を伴ってアクションをしない限り、本質的なものが見えてこないのではないか」という思いがあったからこそ、街への働きかけを継続してきたという。

そんな中村さんはこれらの活動を振り返り、「ここのポイントは、3331の江戸一本締めと同じ」と解説する。「自分ひとりではなく、周りにいる作家たちに声をかけて、せーの、で始める。すると、民族の大移動のように、全体がその瞬間つながって、ちょっとだけ動くんですよ。」

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(宇治野宗輝さんのパフォーマンスの様子 1993年撮影 アーツ千代田 3331提供)

多様な価値観が混在する社会で、僕個人ができること

中村さんのこれまでの活動は、常に社会に眼差しを向けながら行われてきた。なぜホワイトキューブの中ではなく、その外へ出て、社会の中で活動を行っているのか。その理由について伺うと、「アートワールドも社会の一部」と強調し、ホワイトキューブの内と外を別世界とする考え方に反対。「アートというものがそもそも社会性のある活動。社会性のないアートはあるのか?」と問い返した。そのうえで、それでも外の社会を意識してアート活動を行う理由の一つとして、海外への留学や旅行の経験を挙げた。

中村さんは東京藝術大学大学院修了後、1992年から韓国の大学院に留学した経験を持つ。また留学期間中にはバックパッカーとして「地球を2周くらいした」と話すほど、世界中の国々を旅したという。留学や旅行を通して「世界中にはいろんな暮らし方、考え方があり、それが同時に地球上にある」ことを知ったことが、中村さんの活動に大きく影響を与えた。多様な価値観を目の当たりにしたことで、自分の考え方を相対化することができたそう。

特に印象的だった出来事を伺うと、韓国でのタクシー運転手との会話を思い返した。「お前たち日本人はなんてことをしてくれたんだ」と問い詰められ、何のことかと聞き返すと、運転手は豊臣秀吉の朝鮮出兵の話を始めたという。他にも日韓の歴史について話をされ、「それに答えられない自分が悔しかった」と、当時の心境を振り返った。自分の歴史認識の甘さを実感し、その出来事がきっかけとなって、歴史の勉強にも励んだそう。海外に出たことで、それまで問われなかった「日本人としてのアイデンティティ」を問われ、「僕個人に一体何ができるのか、問い詰められている」と強く感じたという。

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ゆるやかさが、社会とつながるキーワード

ART ROUND  EAST設立時の経緯について伺うと、時は今から十数年前に遡った。つくばエクスプレス(TX)の開業に伴い、「沿線でオルタナティブな活動している個人や組織が、これまで以上につながりやすくなるのではないか」という発想のもと、つながることによる発信力の強化を目指して、AREは動き出したそう。団体の名前の由来には、アーツ千代田 3331と同様に、人々が「丸く」つながるという願いを込めて、「ROUND」の名前が採られた。

団体の発起人の話題になると、全体の方向性を決めるようなリーダーが誰か一人いたわけではなく、「みんなで議論して出来上がった感じ」だったと答えた。中村さんはここに、団体継続の秘訣があると見ている。自分以外の誰かが言いだしたことに従うのではなく、自主的に集まった団体だからこそ、「やらされている感なく、ゆるやかにつながっていられることで、今まで活動が継続できているのではないか」と分析した。

ゆるやかにつながることの重要性はこの夏開催の芸術祭、東京ビエンナーレからも伺える。本来、東京オリンピック・パラリンピックに合わせて、2020年の夏に行われる予定だったこの芸術祭は、新型コロナウイルス感染症の拡大を受け、名称を「東京ビエンナーレ2020/2021」に変更し、9月5日まで開催。東京ビエンナーレについて、コロナ禍における課題や、中村さんが考える新たなコミュニティのあり方について、話を伺った。

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(東京ビエンナーレのロゴ 東京ビエンナーレ事務局提供)

工夫で実現した民間主導の芸術祭

東京ビエンナーレの特徴について伺うと、行政ではなく民間が主体となって運営している点を挙げた。この芸術祭は、市民委員会がベースとなっているため、行政が主導するアートプロジェクトのような大規模な予算を立てることはできない。限られた条件の中で、東京都内の様々な場所で数多くの展示を行うため、中村さんは、芸術祭に参加する作家それぞれの展示を一つの独立した事業体として、各自が実行委員会を立ち上げて運営するという仕組みを採った。

芸術祭を主催する「一般社団法人東京ビエンナーレ」は、それぞれの作家の事業の細かな部分には関与せず、芸術祭の大枠を統括することで、芸術祭を実現している。具体的には、芸術祭の会場である東京都内の各地域ごとに、エリアマネージャーという役職の方を配置し、その人が各地域の顔役となることで、作家が利用可能な展示会場を紹介したり、あるいは作家とスポンサーをつなぐことで、各実行委員会の運営資金の獲得をサポートしている。このように、1つの組織が全体を管理するのではなく、全体がゆるやかにつながりながら、それぞれの事業を行うことで、民間主導による大規模な芸術祭を可能にした。

この方法は、各アーティストがそれぞれの地域に入り込んで行く主体性を必要としており、アーティストの中には、そのような「裏方」の仕事を好まない人もいる。ここに、芸術祭を運営する難しさがあると中村さんは話す。一方でこの難しい運営方法には強みもある。感染症の流行によって東京ビエンナーレの開催について対応を迫られた2020年夏、数多くの会場では、開催を前提に準備が進められていた。各アーティストがそれぞれの地域や会場の関係者と信頼関係を構築していたことで、「だったらこういう手に変えていこう、こういう会場をもう一度探そう、と切り替えが早かった」といい、柔軟な対応を取ることができたそう。

自分の居場所、と思える空間をつくる

コロナ禍において、イベントの成功の測り方は、これまでのような動員した来場者の数ではなくなった。東京ビエンナーレでも、集客が振るわないイベントもあるという。しかし、中村さんは悲観していない。これからは、質の高いコミュニケーションやコミュニティのあり方そのものに目を向ける必要があると話す。これまでのような大きな単位で人々を集めるのではなく、「10人単位で回していくことで、コロナ禍でもリスクを回避しながらイベントを行うことができ、かつ、作家と来場者の質の高いコミュニケーションが可能になる」と話す。中村さんが考える、これからのコミュニティのあり方について話を伺った。

中村さんは、現在東京ビエンナーレでアートプロジェクトとして出展している自身の作品、「優美堂再生プロジェクト ニクイホドヤサシイ」を例に挙げて話を始めた。閉店して廃墟化が進んだ額縁専門店「優美堂」は、中村さんと市民が協働して改修したことで、コミュニティアート施設に生まれ変わった。ここでは、展覧会の企画・運営までも、市民とともに行っている。優美堂ではこれまで、毎週日曜日になると学生や社会人など、様々な人が「渾然一体となって」店舗の改修作業を行ってきた。市民の参加理由について中村さんは、「自分がここで何ができるんだろうという興味」だと分析している。「単純なお金やミッションを共有していない、ゆるやかな関係」だからこそ、「自分の居場所」と感じられる、居心地の良い空間になっているそう。

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(優美堂の大掃除に集まった30名以上のボランティア 2020年撮影 東京ビエンナーレ事務局提供)

ここからも、目指すべきコミュニティのあり方を見て取れる。改修作業の完成度ではなく、「同じ時間・空間を共有し、作業を楽しんだというこの経験自体を優先することが大事なのではないか、と最近気づいてきた」と、中村さんは話す。「人の興味や関心が湧いたり遠のいたりするのは、人と人との関係だけではなく、その人達がどこにいるのかにかなり影響を受ける」という。「空間の持つエネルギーが、人々の心や指針を緩やかに刺激する」ことで、新たな関係性が生まれ、各自の居場所の発見につながると話し、新たなコミュニティ形成における、場の重要性を強調した。

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まとめ

中村さんのこれまでの活動や、コミュニティのこれからのあり方についての考えを伺い、従来のコミュニケーションが難しくなったコロナ禍だからこそ、社会に眼差しを向けた芸術活動は、今後さらに重要性を増すように感じた。芸術という手段を用いて、ホワイトキューブの中に飾られるものではなく、この雑多な情報があふれる現代社会の中で、生きている充実感を得られる空間を作ろうとする視点は、なくてはならないものだと痛感させられた。

(文:久永)

ART ROUND EAST:ARE(アール)とは?

東東京圏などでアート関連活動を行う団体・個人同士のつながりを生み出す連携団体です。新たな連携を生み出すことで、各団体・個人の発信力強化や地域の活性化、アーティストが成長できる場の創出などを目指しています。
HP:https://artroundeast.net/
Twitter:https://twitter.com/ARTROUNDEAST


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