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恋人や家族の言葉は「希望」にもなるし「呪い」にもなる

昔、付き合っていた年上の恋人に「貴女は美術のことを何も分かっていない(美術を語る資格などない)」と言われたことがある。

当時、私は今のように美術の発信もしていなくて、美術館に休みの日に行くことが趣味くらいの程度だった。

私は大学で美術を学んでいたものの、やはり美術ってよく分からないなと感じていたので(今もだけれど)、自分を理解してくれていそうな年上の恋人の言葉は重かった。

それからは、展覧会に行っても芸術祭に行っても「私は美術のことをわかっていないんだろうな…」という気持ちが心の中で渦巻いていた。

その思いは一種の恥のようなものになっていった。

結局その恋人とはすぐに別れて、後から分かったことは彼はプライドが高い人だったということ。全てにおいて、私より知識を持っていて優位であろうとしていたことが冷静になってから理解ができた。


家族や恋人といった自分と距離が近い人からの言葉は、客観的に判断できないことがある。
それは真理のように聞こえるのだ。

投げかけられた言葉の裏には、自分を優位にしたいとか相手を思い通りに動かしたいとか、そんな思惑が見え隠れしていることにも気が付かない。

彼らはそれを無意識にしていることがあるのも厄介だ。

そしてそれは、私が身内にしているかもしれないと心に留めておくことも必要だと、自分自身をも戒めるのである。



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