
思い出そう。世界を旅するすばらしさ。【耳で聴く美術館】
「気軽にいこう、台湾日帰り女子旅」
これは私がコロナ前に本屋で目にしたガイドブックの文言だ。
当時は台湾に日帰りで行ける距離感覚だった。
パンデミック以降、鎖国のように国々は人々の往来を制限し、私たちは街で外国人ツアー客を見ることがなくなった。
私が大学生の頃は、多くの学生が卒業旅行で海外を旅していた。
NYでミュージカルをみるのだが、歩き疲れて上演中に爆睡。
パリで危うくiPhoneをすられかけたなど、みんなのヒヤヒヤする話を学食で聞いたものだ。
私は歴史が好きな女の子と二人でカンボジアにアンコールワットを見に行った。
(帰国の時、女子二人でカンボジアから帰ってくると、関空の税関の方に怪訝な顔をされた。)
それだけ、パスポートを持つことは当たり前だったし、駅の旅行会社にはたくさんの国々のパンフレットが並んでいたものだ。
「海外が遠い。」
少しずつ緩和されているものの、まだ前のように気軽に行ける距離間ではない。
あの、異国の地を自分の足で踏みしめる素晴らしさをはやく味わいたい。
私は東南アジアが大好きだ。
旅した国は、シンガポール、カンボジア、ベトナム、そしてタイ。
これから発展を遂げようとしている国はエネルギッシュで、街へ飛び出た瞬間人々の熱気を感じる。
海外では基本的に日本のルールは通用しないと予習した「地球の歩き方」には書いていたので、現金やパスポートは服の中に隠れるよう肌身離さず持ち歩いていた。
東南アジアはめちゃくちゃ暑いので、お札は汗でぐっしょりになることがわかり、二回目からはジップロックに入れていった思い出がある。
ベトナムのレストランで夕食をたらふく食べ、さぁホテルに帰ろうとしたとき、英語が十分に話せなかった私たちは、「お会計で!」とウィエイターさんに伝えたら、ビールが出てきたことがある(笑)
顔を見合わせて、笑いをこらえた。
タイでは夜中の3時ころにスコールが降り、ホテルの部屋の窓から眺める異国の地の激しい雨は、違和感と想像力を搔き立てた。
「この雨の降る街には、たくさんの人々がいるのだなと。」
バンコクの夜は屋台が出ているのだが、現地の人々が雨宿りに慣れた感じで日本人向けのホテルのロビーに避難していた。
HIVの大きな病院がバンコクの中心にあったり、シンガポールでは地下鉄の駅に幼いホームレスの子供たちが寝ていた。
海外に行くことは、楽しいことばかりではなく、日本にいることの日常を改めて考えさせられるきっかけになる。
そこが外国を旅することの醍醐味だと思う。
当たり前を根底から叩き割り、問い直す。
百聞は一見に如かずとよくいったもので、目にする光景は私たちの人生にずっと残り続けるのだ。
あぁ、海外に行きたい。
そろそろパスポートを更新しておくかとやることリストに書き記すのである。
近い将来、入国のハンコを押してもらうために。