再び自分と出会う
私は、誕生日を目前に控えている。
この年になると、「もうおばさんだよね〜」とか「アラサーじゃん」とか自虐したり歳を揶揄したりが増えてくる。
私もノリでそうしたことがしょっちゅうだ。
でも、そんな必要あるのだろうか?
日本は特に「若さが取り柄」的な文化があるから若さこそ良いみたいな考えなんだろうが、私は25歳を目前としている今が今までの誕生日目前歴史の中で一番ルンルンしている。
泥沼に自分の足で立って生きているという実感がどんどん湧いてくる。
そうやって自分の足で生きている私が流す涙も、あふれる怒りも、こぼれる笑みも、嫉妬心や憎悪までもすべてが愛おしい。
歳をとるほど私は自分が愛おしくてたまらない。
「若さが取り柄」的文化は滅びてしまえばいい。
歳をとるほど輝く私に失礼じゃないか。
人間はよく花に例えられてどんどん枯れていくと言われるけど、
年月が経つほど根を深く張り、凛とそびえ立つ木でいいじゃないか。
そんな誕生日を目前にした私は、歳をとればとるほど成熟していくと思っていたが最近おかしな感覚が芽生えてきた。
今までは「大人への進路」を進む感覚があったのに突然子どもの頃の私が戻ってきたような感覚というか。
無邪気で、ふざけることが大好きで、ケロッとしていた幼少期の私。
そんな私に今再び出会っている。
ああ、長かった思春期を抜け出したのか。
あんなに人の目を気にして自分を取り繕うことに必死だった思春期の私とここでお別れしようとしている。
私が自分と向き合うことをしなかったら、
自分の中の違和感や嫌悪感を無視していたら、
自分を大切にしていなかったら、
今「私らしさ」に再び出会えただろうか。
幼かった頃の「私らしさ」に戻ってこれる私の大きな居場所がなかったら、
私はどんな姿で誕生日を迎えていただろうか。
こうして今、幼かった頃の私と再び出会えた事自体、
私の今までのがんばりが愛おしくてたまらないのだ。
今後の人生がまったく予想つかないけど、もし結婚して子どもが生まれたら、次は自分の中にではなく他者としてもうひとりの自分と出会うのだろうか、と考えると人生は本当に面白くて愛おしい。
ありがとう、今までの私。