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ルイーズ・ブルジョワ:私はここにいる—不可視化された者が声を上げるとき

先月、六本木の森美術館で開催されていたルイーズ・ブルジョワの大規模な回顧展が終了した。「地獄から帰ってきたところ言っとくけど、素晴らしかったわ」ブルジョワの作品から引用されたこの印象的なフレーズを軸に組まれた展示は、彼女の生涯をかけた創作活動を振り返る充実したもので、会期中に2回訪れることができた。今更ながら展覧会で考えたこと、私なりの解釈を備忘録として記しておきたい。


母性:娘として

あなたが好き、あなたが憎い。わたしが好きでないのなら、襲ってやる。

愛されれば愛されるほど、見捨てられる恐怖が大きくなる。それでも愛情を求めずにはいられない。確かめずにはいられない。そして、攻撃せずにはいられない。
ルイーズ・ブルジョワの創作活動の根底には、複雑な家庭環境の中で育った幼少期の経験がある。父親の抑圧的な態度と不貞行為は幼少期のブルジョワを深く傷つけ、さらに20歳の時に経験した母親の死は、愛する者に見捨てられる恐怖を植え付けた。生涯アーティストとして現役を貫いたブルジョワは、少女時代に遡るトラウマと向き合い、精神的な傷や怒り、苦しみをアートに昇華してきた。

《ママン》(1999/2002)所蔵:森ビル株式会社(東京)

《ママン》と題された卵を抱える巨大な蜘蛛の像は、鋭い脚で外敵から子を守るしなやかな強さを体現すると同時に、そこからは母親の包み込むような優しさ、絶対的な安心感のようなものも感じ取れる。しかし、無防備に抱かれる子へと向けられる愛情は、時にいとも簡単に暴力や無関心へと変容し、容赦無く子を攻撃する──「母性」とは、そのような二面性を秘めた危ういものである。
ルイーズ・ブルジョワの作品は、母性が孕む暴力や無関心を暴き、愛情と憎しみ、強靭さと脆弱さ、そして愛されることへの渇望と見捨てられることの恐怖という相剋を露わにする。

母性:妻、そして母として

荷を担う女は荷に対して責任があり、その荷はきわめて脆く、女は責任を一身に負う。そう、それはよい母親ではないかもしれないという恐れ。

俯いた人形は乳房から垂れる5本の白い糸を通じて家族に母乳を与え続ける。五つの糸はブルジョワの家族構成に由来する。《良い母》(2003)

ブルジョワは娘であると同時に、妻であり、三人の息子の母親でもあった。結婚、移住、出産、子育てとライフステージを経るにつれ、かつて母親に抱いた見捨てられることへの恐怖や母性への倒錯した思いは、母親となった自身に対する自己批判として返ってくる。

《堕ちた女》[ファム・メゾン(女・家)](1946-1947)

捕えられ、押し付けられる、決して逃れることのできない母親であること、女性であることへの期待と責任。 
「家族」──それは自分を守るものであると同時に、自らを縛り抑圧する装置でもある。守られながらも閉じ込められる。そして、そこから逃れると同時に脆弱な存在として社会のあらゆる暴力に晒される。女性の身体と家が一体化した「ファム・メゾン(女・家)」シリーズは、家と結びつけられる女性のジレンマを描き出す。

複数の乳房と陰茎を備えた両性具有的な像はブルジョワ自身の自画像でもある。 《自然研究》(1984)

ブルジョワの作品では、女性らしさと男性らしさの境界が曖昧になり、両性具有的な身体のイメージが提示される。ブルジョワは、時に断片化され、時に統合された身体を通じて、自身の精神的な分裂を表現してきた。弱さと結びついた「女性らしさ」、強さと結びついた「男性らしさ」に問いを発する身体のイメージは同時に、彼女の身体や存在意義が「娘」「妻」また「母親」という枠組みの中で語られ、形作られることへの抵抗となる。

刃を忍ばせた5つの乳房は、攻撃性を備えた母性の両面性を象徴する。《胸と刃》(1991)

私を見捨てないで

理解はしたくない。ただそっとあやしてほしいだけ。

そこにいながらも、誰にも見られないこと、声を聞かれないこと。
権威的な父親は、ブルジョワが女に生まれたことを疎み、家庭内で威圧的な態度を取り続けた。創作や精神分析を通じて過去のトラウマと向き合う中でブルジョワの底から発せられるメッセージは、父親に対する倒錯した愛憎、不安、殺意を明らかにする。同時に、孤独の淵から発せられる声は、時に狂気的に他者との繋がりや他者からの愛情を渇望する。

《部屋(セル) X(肖像画)》(2000)

私はここにいいる­──檻に閉じ込められた人形の舌を出した挑発的な表情は、他者と繋がりたい、ちゃんと見てほしい、私を見捨てないで、その切なる願いの裏返しでもある。

自由への道

すべてを青、青、青、青、空色、自由の青で塗りつぶす。

《雲と洞窟》(1982-1989)

ブルジョワの作品において、赤は象徴的な色である。赤は肉体から滲み出る血の色であり、痛みや暴力、恥を表してきた。一方青は、ブルジョワにとって自由と解放を象徴する色であった。静かな凪や穏やかな青空を想起させる晩年の作品は、トラウマを乗り越えた先に広がる景色を象徴する。
一方的に抑圧的な視線に晒されるのではなく、対等に見られ、見つめ返し、そして視線が交わること。そこで他者と出会い、他者も、自分も赦すこと。その先で愛し、愛されること。精神分析を経てトラウマを生き抜いたブルジョワの作品は、晩年に向けて解放的で穏やかな、青のイメージへと繋がっていく。(後半:赦し、解放、そして希望へ)


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