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「去る」と「去られる」


この春、わたしは「去る」と「去られる」を同時に経験する。


「去られる」は職場のこと。一緒に仕事を担当してきた後輩が退職していく。
退職することに対してはどうも思わないのだけれど、これまで一緒に担当して仕事を進めて来たのに、私には何一つ退職の話もなく、業務の引継ぎすら何もして来ない。
これに対して私は、少なからず怒りを感じている。

「去る」は、一昨年から続けていた習い事のフラダンス。
去る本当の理由は人間関係。一緒に通っているもう一人の生徒の強烈なキャラやペースに疲れてしまった。
私の通っているクラスは先生と私ともう一人の生徒3人だけで、いつしか教室に行くことが苦痛になっていたことに気付いた。
それからは、もう本当に行きたくなくて何かと理由を付けて休みがちだった。辞める理由を人間関係のせいとは言えず、脚を痛めていることにして、1ヶ月間は様子を見るため教室を休会させてもらっていた。正直、もし辞めることを止められても、決心がついているので私は、3月末でその場を「去る」

職場を去っていく人の本当の理由は正直分からない。
私と同じように人間関係が理由かもしれないけど、その場合本心は言わないだろう。私もそうだから。

これは、客観的に見て同じことなのかな。
「去っていく」人に対し、怒りを感じている事はおかしいことなのかな?
「去ろうとしている」自分を無理に引き止めようとしている人に自分勝手さを感じることはおかしなことなのかな?
何か色んなことが疑問に思えてきた。
だけど、去ることを止めてくる事さえも、自分の事しか考えていない身勝手な人だとしか感じられなくなっている。

その理由は?
これまで、私が自分を抑えて人に合わせてきたからだと気づいた。
正直、私の意見を言う隙もないくらいの、強烈な人だったのだけれど。
でも、これはそもそもそういう人と合わない、そういう人が苦手という事だったのかもしれない。
その事を押し殺して、何度も「本当はやりたくないのにな・・」と思いながらも相手のペースに無理に合わせてきたのだ。
それが結果的に爆発してもう逃げ出したくなったのかもしれない。
そして、もうひとつの理由もある。


「彼氏」ができたことだ。

彼とは結婚とか今後の話もしている。県外に住んでいる彼なので、結婚すれば県外に住むことになる。ということは、このまま教室に通うことも出来なくなる。そのことも理由の一つだ。県外の彼が出来た事を教室の人たちに話して、「いつかは辞めて行く人」という立ち位置で教室に通い続けることは、自分的にも居心地が悪い。
だから、今の時点で話すことは控えていた。

そして、3月末、ついにフラ教室の先生、クラスのもう一人の生徒に教室を退会することを伝えた。
結局、先生からは、承諾の旨と当たり障りのない返事が返ってきた。教室の人も止めることはしないけれど、残念だと言っていた。


これを伝えるのに、物凄い悩んで考えて、エネルギーを使った。
やっぱり何かを始める時よりも辞める、手放す方がエネルギーを必要とする。
私は教室を去ることに対して、自分に罪悪感を感じていた。
それは去っていく人に対して私自身が怒りを感じていたから、去っていく自分に罪悪感を感じていたのかもしれない。
怒りを手放し、気持ちよく送り出してやれれば、自分自身の罪悪感もなくなるのかな。

「去る」ことは悪いことではない。「去る」ことは次のステージに行くこと。と自分に言い聞かせてみた。
罪悪感を手放し、去る人を気持ちよく送り出す。そして、私も身軽になって次のステージへ行こうと思うようにした。


あとは、誰かに何かを伝える時に、相手がこう言ってくるだろうと想像するのはやめる。どんな人でも、想定している言葉が返ってくるとは限らない。
それより、自分で決断したこと、自分が思う事をそのまま相手に伝えるようにしたい。
相手が何と言ってこようと、自分の意見をしっかり伝えることが重要。


どんな去り方でも、今までお世話になったのなら感謝の気持ちだけは忘れずに。

年明けから3月29日まで、モヤモヤしながら考えて悩んで決断したこと。今日から少しだけ気持ちもスッキリ過ごせそう。

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