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WAN 1995-2004について

WAN 1995-2004について
                              中西美穂

日本の1980年代から2000年代における女性アーティストグループのアーカイブ状況について報告した。グループに注目する理由は、美術館や批評誌など既存の「アートの枠組み」で紹介される一部の女性アーティスト以外の、私の周辺にいる継続的に断続的に創作活動をする女性たちも「女性アーティスト」として名指すためである。
 「女のフェスティバル」は1986-1995年に京都で活動した。その展示コーナーは「女のフェスティバルの意図を視覚的に象徴」(渡辺和子,1986年3月30日京都新聞)した。全40ページの冊子『あなたがつくる女のフェスティバル10年間の記録』(1997年)がある。
 パフォーマンスアーティストのイトー・ターリが設立したWAN(ウィメンズ・アート・ネットワーク)は、1995-2004年に東京を中心に活動した。最大事業であった「越境する女たち21」展においては期間限定の「アーカイブの場づくり」も行い、また全111ページの日英バイリンガル図録『ドキュメント越境する女たち21展』(2001年)と『越境する女たち~ビデオドキュメント~』(2001年)がある。ニュースレター(1~6号、特別号)や、韓国へのグループツアーの感想をまとめた『日韓交流ノオト』(2002年)も存在する。
うぱお(women’s performance art osaka)は2000年にWANのシスタープロジェクトとして創設、現在も継続している。NPO大阪アーツアポリアとの協働資料を大阪中之島美術館アーカイブズ「特定非営利活動法人大阪アーツアポリア資料(A-042-2020.04)」に収蔵した。
これら三事例にはいずれも活動を網羅したアーカイブはない。また、関係者の重複がありアーティストごとの分別だけでは団体の活動が見えにくくなると考えられる。いずれのグループにもピアサポート的な側面があるが、それをうかがい知る資料はほとんどない。

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