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53arts|山形市 歴史ミュージアムめぐり(後編) 山形県郷土館「文翔館」

山形県郷土館「文翔館」は、1916年(大正5年)に旧県庁舎および県会議事堂として建設され、1975年(昭和50年)まで実際に使用されました。1984年(昭和59年)に国の重要文化財に指定、現在は山形県郷土館として無料公開されています。


英国近世復興様式の建物

「英国近世復興様式」と検索すると文翔館しか出てこないのですが、近世のイギリスで流行した様式を復興=リヴァイヴァルした様式のようです。
近世が、東ローマ帝国の滅亡及び、ルネサンス・宗教改革・大航海時代あたり(15世紀 - 16世紀前半)から、市民革命・産業革命の時代の前あたり(18世紀後半 - 19世紀初頭)までを指し(Wikipedia)、19世紀はルネサンスやゴシック、バロック、ロココといった過去の様式が誇張されたり混ぜ合わされたりして再登場した時代なので、過去のイギリスで流行した様式を織り交ぜたデザインでしょうか。

中庭

旧県庁舎はレンガ造り3階建て、中庭に面した回廊の外周に部屋を配した造りになっています。外周側の壁面は白の石貼り、中庭に面した壁面は赤レンガ貼りで、雰囲気の違いに驚きました。
旧県会議事堂はレンガ造り一部2階建て。こちらは白い石貼りに赤レンガのストライプが施された外観で、アーチ型の天井をもつホールがメインの建物です。
(今回は旧県庁舎のみ見学しました)

設計顧問は米沢市出身の中條精一郎、設計担当は東京都出身の田原新之助が手掛けました。
きちんと調べたら、なぜイギリスのリヴァイヴァル様式を採用したのか、どうして山形に旧済生館や文翔館のような近代建築が建てられたのか、わかるかもしれません。

旧県庁舎 2階

中央階段

旧県庁舎の見学可能エリアは2〜3階。玄関を抜けた正面には、大理石の柱を持つアーチ天井の向こうに中央階段が見えます。基本フラッシュを焚かないカメラ設定なので、暗くて申し訳ありません……。
ここでウェディング・フォトを撮るカップルも多く、友人も撮影したそう。

山形の土地と文化を物語る

最上川は語る(旧土木課製図室)

最上川は語る(旧土木課製図室)は、最上川を軸として置賜・村山・最上・庄内の4地域の地域の風土・文化などを紹介する展示コーナーです。
最上川と周辺地域をイメージしたカラーリングのカーペットの上に、土偶、紅花、コケシといった、各地域を代表する特産物・民芸品がずらりと並びます。

前編の山形県立博物館でみてきたように、大きく蛇行する最上川はさまざまな地形・地質を生み出しました。その周辺に暮らしてきた山形の人々の暮らしも、多様だったと想像できます。

山形の特産物・民芸品の数々

これだけ多くの品々を揃えられたのは、自然的な資源だけでなく、出羽三山が育んだ人々の信仰心、北前船で運ばれてきた都の文化の反映もあるでしょう。
縄文時代から現代に至るまで暮らしを営んできた人々の痕跡、文化的な豊かさを感じました。

山形の文学(旧会計課)

文学もそのひとつです。山形の文学(旧会計課)では、山形県出身の作家・山形県を舞台とした作品を著した作家が紹介されていました。

山形で文学というと、小説家の藤沢周平、劇作家の井上ひさし、歌人の齋藤茂吉、絵本「泣いた赤おに」の浜田広介がいます。松尾芭蕉が「閑さや岩にしみ入る蝉の声」と詠んだ山寺も山形市にあり、別の年に友人と訪問しました。
(かの有名な重機が活躍する芋煮会で飲酒後に登ったので辛かったです)

じっくりと想いを馳せて言葉を紡ぐことに適した風土なのかもしれません。

旧県庁舎で働く人々

銀行出納係(旧会計課)

銀行出納係(旧会計課)では、昭和初期の銀行出納係の様子を古い家具と人形で再現しています。男性はスーツで女性は袴姿、どちらも職員という設定で、左の男性はそろばんを弾いています。
大都市に引けを取らない近代建築ですが、そこで働く人々の近代化は、新旧入り混じった発展具合だったようですね。

2階には、他にも旧県庁舎と旧県会議事堂の建設と修復工事等の資料が並ぶ展示室、貸ギャラリーや喫茶室があります。

旧県庁舎 3階

正庁

3階に上った正面には正庁(講堂のようなもの)とバルコニーがあります。
会議などが行われた正庁は、コリント式の柱頭や花飾りなどの漆喰彫刻、椅子はルイ16世様式(ロココとネオクラシックの移行期)と、クラシックで格式高い印象を与える内装です。

バルコニーから外を眺めると、七日町大通りがまっすぐ伸びています。

貴賓室

隣の貴賓室は、皇族や高官が来県した際に使用されました。
カーテンバランス(カーテン上部の飾り布)の贅沢な布遣い、ステンドグラス付きの衝立、暖炉の上の丸い鏡や花綱文様の彫刻など、他の部屋と比べて優雅で華やかな印象です。

山形の政治の中枢

県政の歩み(旧知事官房)

県政の歩み(旧知事官房)では、歴代県令・知事の肖像写真・プロフィール・年表を見ることができます。初代県令・三島通庸(みしまみちつね)についても、胸像や書などが展示されています。

この三島通庸、済生館でも名前が出てきましたね。山形では積極的に地域開発を進める「土木県令」として知られ、近代化に貢献した人物です。一方で「鬼の三島」「鬼県令」とも呼ばれ、福島県令に転任すると県議会と激しく対立し、自由民権運動を弾圧しました。
なぜ薩摩藩士を福島に転勤させたのだ。

知事室

そんな三島の仕事場である知事室ですが、「鬼」の名前に似合わず、可愛らしいカーテンや壁紙の部屋ですね。重厚な木材と布地の色が落ち着いた雰囲気です。
机・椅子・壁紙が復原ですが、絨毯は実際に使用されていました。

映画のロケ現場でした

この部屋は映画『るろうに剣心』のロケにも使われています。
なんのシーンでしょうか、佐藤健が偉そうな人に詰め寄られている。

建築を残すことの難しさ

復原の記録(旧郡市長控室)

復原の記録(旧郡市長控室)では、10年におよぶ工事の様子が、資料と映像で紹介されていました。修復前の部材の実物や写真を見ると、壁や床の痛みが激しく、廃墟のようになっていたことがわかります。

これまで通ってきた部屋も、当時のまま残っている部分は少なく、カーテンや壁などは復原とありました。街並み探訪(旧高等官食堂)、警察部長室、内務部長室も、当時のままで残っているのは暖炉や寄木貼りなどの一部のみです。
家具についてはウェブサイトやパンフレットに記載がなく、部屋の雰囲気に合わせて、新たにあつらえたものかもしれません。

壁紙の復原

修復には、調査の段階から実際の作業に至るまで、莫大な費用がかかります。県の所有なので、そこには税金が使われます。そうなると、何か県民に還元されるような使い道がなければ、許可は出せません。
重要文化財になって、文化庁の補助を受けられるようになったからこそ、復原工事に着手できたのでしょう。

民間企業に売却して飲食店にする、有志を募って一般公開を目指して再興する、公共施設としてクラウドファンディングを行うなど、建築を保存・活用する方法はいくつかあります。
どのような方法にしろ、元の建築の魅力が損なわれない使い方をしてほしいですね。

近代の山形

記念碑の回廊(旧高等警察係・旧林務課製図室・旧林務課)

記念碑の回廊(旧高等警察係・旧林務課製図室・旧林務課)では、明治以降の山形の風俗や流行を垣間見ることができる写真や生活用具などが展示されていました。より現代に近い時代、人々の暮らしぶりが生々しく伝わってきます。
2階の最上川は語る(旧土木課製図室)のように、各パートにパッと目をひく彫刻が配されています。一目で情報が入ってくる展示で、上手いと感じました。

ガラスケースやパネルに公共施設のお堅さがありますが、室内は開放的な雰囲気で、一般の方も撮影や展示に利用できる親しみやすい施設でした。

★山形ミニ観光情報 山形の食

居酒屋「いのこ家 山形田」の山形名物五品盛り

山形名物といえば、芋煮やたまこんにゃく、米沢牛などのブランド牛、さくらんぼなどがありますね。他にも、キュウリやナスと香味野菜を細かく刻んで醤油で和えた「だし」、甘味噌をシソで巻いて揚げた「しそ巻き」、アケビの肉味噌詰め、だだちゃ豆や食用菊など、郷土色豊かな食べ物がたくさん!

アケビの肉味噌詰め。ちょっとほろ苦いけれどクセはない
地酒 十四代

とても美味と聞く「十四代」があったので、一番下のランクを「もっきり」でいただきました。「もっきり」の意味がわからなかったので、頼んでから調べました。

するりと喉に入ってくる飲みやすさで、美味しいお酒でした。


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