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55arts|デ・キリコ展(東京都美術館)

「形而上絵画」で後世のアーティストに大きな影響を与えたジョルジョ・デ・キリコ(1888-1978)の展覧会に行ってきました! 東京都美術館で2024年4月27日~8月29日まで開催しています。
撮影禁止なので、公式ウェブサイトのスクショを使って紹介します。


デ・キリコを紐解く Q&A

デ・キリコってどんな人?

公式ウェブサイトによると、1888年、イタリア人の両親のもと、ギリシャに誕生。父の死後にミュンヘンに移り、アカデミーで絵画を学びます。

上の自画像・肖像画をみると、絵のタッチや人物のポーズ・肖像を横顔で描くところなどは王侯貴族の古い肖像画のようで、重厚で格式高い感じがします。
この時、ニーチェの哲学、《死の島》で知られる画家アルノルト・ベックリン、連作『手袋』 (その中でも「行為」がよく取り上げられる)を制作したマックス・クリンガーらの作品から大きな影響を受けました。どちらも不穏な空気をまとった、不安になるような作品です。

1910年頃から、のちに自ら「形而上絵画」と名付けた作品群を描き始め、シュルレアリストをはじめとした前衛画家たちに影響を与えました。
少女が輪を転がしている《通りの神秘と憂愁》(1914)は、何かのマンガでパロディが描かれていたはず。

「形而上絵画」とは?

公式ウェブサイトによると、簡潔明瞭な構成で広場や室内を描きながらも、歪んだ遠近法や脈絡のないモティーフの配置、幻想的な雰囲気によって、日常の奥に潜む非日常を表した絵画とのこと。

上の作品を見ると、斜めに配置された建物によって、わかりやすく奥行きが示唆されていますね。しかし、他の建物に比べてものすごく高い塔が建ってたり、広場の手前に三角定規のような板や木枠、両端が渦巻いた白い装飾の一部? があったりと、その組み合わせや大きさは唐突な感じがします。

実際の作品をみると、画像より輪郭線がくっきりと際立っていました。それがまた、その空間に馴染んでいないようで、不自然さを感じさせます。
極薄の絵の具を塗り重ねてぼかすことで陰影や空間を表現するスフマート技法を使っていたレオナルド・ダ・ヴィンチと真逆です。

浮世絵にも似たグラデーションの空は早朝のようですが、影を見ると真夏の太陽が高い位置から強烈に照っているようで、季節や時間帯は不明瞭です。

そもそも形而上(学)って?

「形而上学」はアリストテレスの考えを表す、後世の人が名付けた哲学用語で、
〇〇とは何か? 〇〇はなぜ存在するのか? そもそも存在するとは? を考える学問のことです。

プラトンは、あらゆるもの(生物・無生物)はイデア(永遠不変の実在/変化や個体差などが生じない真の姿)を持っている。イデアこそが実体で、我々が存在する現象界にあるものはイデアの模倣品(ミメーシス)だと考えていました。
一方、アリストテレスは、あらゆるもの(生物・無生物)は形相(けいそう/形のこと)と質料(しつりょう/素材のこと)から成り立っていて、そうした具体的な個物こそが実体であると考えていました。

つまり「形而上絵画」とは?

人物や物、風景などを通して、個人の性格や情感、象徴性であるとか、何かしらの意味を想起させない、時空を超越したものを描いた絵画ではないでしょうか。

デ・キリコは、ある日、見慣れている街の広場が、初めて見る景色であるかのような感覚に陥りました。その感覚を「謎」として落とし込んだのが「形而上絵画」の作品群だというのです。
まだちょっと頭にハテナが浮かびますね。

人物はどのように描かれているの?

デ・キリコは人物の代わりにマヌカン(マネキン、人の形をしたもの)を登場させました。マヌカンは目も鼻も口もないのっぺらぼうで、表情どころか顔立ちもわかりません。

これは人物をモノと同列に扱うためでもあり、第一次世界大戦の際にモノのように扱われた人間を表しているのではないか、というのが担当学芸員さんの見解です。

1920年代と40年代に伝統的な西洋絵画(ルネサンスやバロック期の絵画)に回帰していきますが、その頃に描かれたマヌカンは肉付きを増し、動きのあるポーズをしています。
《ヘクトルとアンドロマケ》はギリシア神話の主題ですし、《南の歌》も顔の陰影が意味ありげでストーリーを感じさせますが、人物(マヌカン)の感情はいまいち読み取れません。

絵画以外もつくったの?

こういうQってAありきですよね。絵画以外にも彫刻や舞台美術・衣装なども手掛けました。

彫刻ではマヌカンだけでなく、写実的な人物や馬も制作しています。メタリックな光沢をした金銀の彫刻は、緩急のある立体造形が素晴らしく、ちょっとした手足の角度や顔の傾きが雄弁に語りかけます。

ただ写実的な造形だと、人物も馬も大きい垂れ目で、顔の造形が苦手なのかな? と思ってしまいました。絵画だとそんなことないのですが。

舞台に関する仕事では、色彩の組み合わせや模様が目を引きました。衣装の形は平凡なものですが、胸やスカート部分に渦巻や流星、魚やキリンが描かれたスケッチをみると、一体どのような物語だろうかと想像が膨らみます。

余談:謎解きの強い味方・音声ガイド

本展は日本では10年ぶりとなる大回顧展です。私もあまりデ・キリコに触れる機会がなく、美術館で実物を観たり、美術史の授業で紹介されたりした記憶もありません。
デ・キリコ初心者ということで、今回は音声ガイドを借りることにしました!

音声ガイドに取材したシリーズはこちら↓

音声ガイドとは?

音声ガイドとは、作家や作品の紹介・解説を聴きながら作品を鑑賞できるサービスのこと。

美術館や展覧会によっても異なりますが、多くの場合、展示室の入口にあるカウンターで機器をレンタルするか、自身のスマホにアプリをダウンロードして利用します。レンタルの場合は、数字と矢印のボタンがついた端末とヘッドホンを借りて、利用後に展示室の出口にあるカゴへ返却します。

冒頭の作家紹介や主要な作品の解説が20個ほどあり、パネルや作品横の数字パネルと同じ数字を押し、スタートボタンを押すと解説が始まります。

音声ガイド活用術

音声ガイドリストと領収書、作品リスト

基本的には章パネルや作品を前にして聴くことが想定されていますが、会場内で電波の届くところなら何時でも、何回でも聴くことができます。
ですので、休憩スペースでゆっくり聴いたり、他の作品を観ながらBGMとして聴いたりと、フル活用しちゃいましょう!

ちょっとズボラな利点としては、解説パネルを読まなくても喋ってくれるし(完全に補完はできない)、気がそぞろなときも音声ガイドを聴くことで集中力が高まる気がします。
ただし、鑑賞に集中しすぎて周囲の人や壁・ソファなどにぶつからないように、ご注意くださいね。

久しぶりに音声ガイドを使ってみた感想としては、少しもどかしさもありました。
BGMや作家の言葉の引用が導入で流れると、作品の解説部分に入るまでが焦ったい。また、解説が長いと感じてしまうこともありました。
倍速で動画をみる人のように、たまにスキップボタンを押しながら聴いていました。

これ、せっかちな人には向かないツールなのかもしれない。
と思うと同時に、的確かつ快適な解説をつくるのは大変だろうなと制作会社の苦労が偲ばれます。

デ・キリコとは何者か?

ゲーム脳ならぬ絵画脳

「見慣れた街が初めて見る景色のように思えた」というデ・キリコは、ゲーム脳ならぬ絵画脳だったのではないでしょうか。(この「ゲーム脳」という言葉は科学的ではなく俗的な言い方で使っています)

ゲームが好きな人なら「壁の色がここだけ違うから隠し通路があるかも」「この色・模様の並びが宝箱を開けるヒントかも」と、目の前にあるものからゲームに出てくるギミックを連想してしまうことがあるでしょう。
同じように、デ・キリコも目の前の風景が、画家が恣意的に構成した絵画のようにみえてしまったのかもしれません。

鑑賞者の眼をハックする知能犯

アカデミー時代に伝統的な西洋絵画を学んでいたデ・キリコ。巨匠たちの画風で描かれた自画像や肖像画からは、高度な技術力が伺えます。

それも、ただ伝統的な絵画技法を学び、模倣しているのではありません。過去の様式を、画中の人物(自分や弟)を過去の巨匠が描くに値する重要人物にみせる演出として使っています。
つまり、オブジェクト(絵に描かれているもの)の配置や絵のタッチによって、鑑賞者に与える印象をコントロールしていたのです。

彼は、鑑賞者に違和感をもたせる絵画によって、何気なく生きている世界にも「謎」があるのではないかと、我々に気づかせようとしているのではないでしょうか。

現代に受け継がれるエッセンス

会場で作品を鑑賞しながら、いくつかの現代作家の作品を思い出していました。

巨匠の名作のフォーマットを拝借して現代を描くところは、メディアとしての絵画の特性を意識的に取り込んで「イメージとは何か」を鑑賞者に問う福田美蘭。
建物や彫刻などの構造が際立つ形而上絵画は、スピード感のある線と独特な人物造形で描かれる「ネオ漫画」の横山裕一。または、つげ義春でしょうか。
マヌカンの彫刻は、SFに登場するロボットのようでもあり、空山基(そらやまはじめ)の「セクシーロボット」シリーズを連想しました。

また、脈絡のないモティーフの配置は、現代の作家もしばしば用いる手法のように思います。ただ、デ・キリコほど戦略的に用いているか、その意図がデ・キリコと同じかは、作家によりけりです。

これは、本人たちが意識的にデ・キリコを取り入れたのではなく(というより、デ・キリコが影響を与えたシュールレアリスムのほうが影響力も影響範囲も大きい)、私が勝手に連想しただけです。
ですが、それだけ彼が創始したと自負する形而上絵画、表現によるイメージ・コントロールが、現代の作家たちにも通ずる普遍的な手法であるということではないでしょうか。

超大作を書いてしまった……。
私もデ・キリコ初心者でレビュー記事や本も参考にしながら書いたので、話半分に読んでね。

あまり美術に触れていない人は不思議な絵とオシャレなグッズで楽しめ、西洋絵画を多くみてきた人は元ネタと比較して楽しめ、現代アートが好きな人は鑑賞眼(脳)のトレーニングとして楽しめる展覧会です。


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浅野靖菜|アートライター
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