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68arts|[豊原国周生誕190年]歌舞伎を描く―秘蔵の浮世絵初公開!(静嘉堂文庫美術館)
初期浮世絵から錦絵時代、明治錦絵まで、静嘉堂が所蔵する歌舞伎を描いた浮世絵を展示する展覧会です。
[前期] 1月25日(土)~2月24日(月・振休)
[後期] 2月26日(水)~3月23日(日)
のうち、前期に行ってまいりました。
お目当ての作品がある方は出品目録をご確認の上、お越しください。
展覧会の内容だけ読みたい方は第一章から読んでね。
展覧会を楽しむ予備知識
静嘉堂文庫とは
静嘉堂文庫は三菱の二代目社長・岩﨑彌之助(初代・彌太郎の弟)と、その息子で四代目社長・小彌太によって創立・拡充されました。現在は国宝《曜変天目(稲葉天目)》をはじめとする国宝7件、重要文化財84件を含む、およそ20万冊の古典籍(漢籍12万冊・和書8万冊)と6,500件の東洋古美術品を収蔵しています。
かつては世田谷の高台に静嘉堂文庫(文物を保管する倉庫)に併設する形で美術館がありましたが、2022年より丸の内に美術館機能が移転しました。
歌舞伎の歴史
まずは歌舞伎の歴史をおさらいしておきましょう。
歌舞伎は江戸時代の1603(慶長8)年、出雲阿国(いずものおくに)による「かぶき踊り」がルーツだと授業で習いましたよね。女性芸能者である阿国が男装して茶屋遊びをするという、現在の歌舞伎とは真逆の設定で大変流行しました。
そのかぶき踊りが各地の少女の舞踊団に影響を与え、遊女たちによる「遊女歌舞伎」として全国に広まります。ところが、この遊女歌舞伎は風紀を乱すとして、1629(寛永6)年に女性芸能者が舞台に立つことが禁じられました。
禁止令を受けて登場したのが「若衆(わかしゅ)歌舞伎」、若衆とは成人前のまだ前髪の残っている少年を指します。この時、男性の役者が女性役を演じる「女方(おんながた)」が誕生しました。この若衆歌舞伎も、美少年を売りにしていたこと、男色の風俗が武士階級から庶民にまで広がっていたことから、禁止令が出ていしまいます。
それならば成人男性だけで演じれば問題ないだろうと、現在の歌舞伎の原型となる
「野郎歌舞伎」が上演されるようになりました。
浮世絵の歴史
浮世絵と聞くと葛飾北斎や歌川広重の木版画を想像しますが、絵師が筆で描いた絵(肉筆画、にくひつが)も含め、いま=浮世(とくに流行りの風俗など)を描いたものを浮世絵と呼びます。
江戸時代以前から風俗画は絵巻などに描かれてきました。
江戸時代前期、土佐派や狩野派のような日本絵画のメインストリームに学んだ岩佐又兵衛が、義経の母・常盤御前の悲劇を凄惨に描いた物語絵巻《山中常盤物語絵巻》(17世紀)や風呂屋で客に奉仕(垢取りや洗髪、売春)する湯女《湯女図(ゆなず)》(17世紀前半)のような奇抜な、刺激の強い風俗画を描きました。
そうした近世初期風俗画から、寛永風俗画、寛文美人図と艶やかな風俗画が次々と登場して、浮世絵の源流となっていったのです。
この頃は、まだ将軍家や大名家といった支配階級に向けて制作していました。
浮世絵の創始者は《見返り美人図》(17世紀)で知られる菱川師宣(ひしかわもろのぶ)。江戸時代中期から、肉筆画と版画の両輪で浮世絵は発展をしていきます。
浮世絵版画は、線画の部分を墨一色で摺った墨摺絵(すみずりえ)にはじまり、それに筆を使って丹(たん、黄色みを帯びた赤色顔料)や紅で着色した丹絵(たんえ)・紅絵(べにえ)、墨と赤色の両方を版木で摺る紅摺絵(べにずりえ)、そして多色摺の錦絵(にしきえ)へ、だんだんと色彩豊かに進化していきました。
肉筆画はオリジナルが1枚のみですが、版画は複製が可能で、筆ではなく印刷で着色することで、安価に大量につくることができます。
上流階級だけが目にしていた風俗画は、広く庶民が手に入れて眺められる浮世絵となったのです。
18世紀半ばに登場した錦絵は、鈴木春信が中心となり発展していき、北斎や広重、喜多川歌麿や東洲斎写楽(とうしゅうさいしゃらく)といった数々のスター絵師たちが出現、江戸後期からは歌川派の絵師たちが台頭し、最大の流派として浮世絵を牽引していきます。
幕末〜明治時代には、安価な合成染料を使った鮮烈な色彩で、鉄道や洋風建築といった西洋由来の文物、戦争や殺人事件といった最新のニュースが取り上げられました。さらに大正〜昭和時代には新版画が誕生、美人画では橋口五葉や伊東深水(朝丘雪路の父)、風景画では川瀬巴水や吉田博が代表的な作家に挙げられます。
そして現代も、伝統的な分業制で当代の風俗を描いた浮世絵版画、浮世絵の画風を取り入れた現代浮世絵師、現代の美術作家やイラストレーターを絵師に迎えた浮世絵版画などがつくられています。
歌舞伎と浮世絵の接点としては、歌舞伎が男性役者によって演じられるようになったあたりから浮世絵が登場し、浮世絵版画が芝居のチラシやブロマイドの役割を果たし、歌舞伎人気を支えたと言えるでしょう。
浮世絵については、以下の記事も多少参考になるかも↓
第一章 歌舞伎絵の流れ
第1章は、近世初期風俗画から漆絵(うるしえ、紅絵の墨に漆を混ぜて光沢をもたせたもの)、紅摺絵、錦絵(にしきえ)と、歌舞伎と浮世絵版画の進化を駆け足で、もはやスキップする速さで追っていきます。
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この屏風は出雲阿国以前に行われていた「ややこ踊」を描いたもので、幼女3人が古い形式のお囃子に合わせて踊っている、と解説にはあります。少女どころではなく幼女なのですね、何歳くらいなのでしょう。
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幼女たちは扇子を手に、三者三様の着物と振付で躍動感たっぷりに踊っています。後ろに控えるお囃子連中の髪型を見ると、大人がひとりと子どもが数人。観客は老若男女いて、飲食やキセルでタバコをふかしながら鑑賞しています。刀を差している人もいるので、それなりの身分の人たちなのでしょう。駕籠(かご)に乗って遠くから来た人もいるようです。
会場の豪華さ、幕に家紋のようなものが描かれていることから、寺社かお屋敷のような場所で催されているようです。
近世初期風俗画は人物の髪型や着物、動きにS字の曲線が多用され、人々の活力や妖艶さ、京楽的な雰囲気が感じられるのが魅力です。
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駕籠に寄りかかる男がふたり、視線の先には女(女方)が座ってポーズをとり、背後には語りと音楽を担当する人たちが出語りで(舞台に姿を現して)登場しています。
逆三角形の構図で画面いっぱいにモチーフが描かれ、人物の表情、着物の模様や色彩など、隅々までじっくり眺めたくなりますね。
絵師は鳥居派の四代目鳥居清長、八頭身の美人画は海外で高く評価されています。
鳥居派は代々、芝居の看板絵(劇場正面に掲示する、本日の演目を示した絵看板)を制作してきました。
その系譜は現代まで続き、最近まで鳥居派で初めての女性当主であった九代目清光さんが看板絵を描いていましたが、2021年に逝去されました。
歌舞伎座では九代目清光さん(古典の演目などストックがある分?)、同じく代々歌舞伎絵師の穂束宣尚(ほつかのりひさ)さんの看板絵をよく目にします。
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日本三大仇討ち(?!)のひとつ、曽我兄弟の仇討ちを扱った演目は曽我物(そがもの)と呼ばれています。江戸では、仇討ちの達成をあらかじめ祝う予祝(よしゅく)の劇として、毎年正月に新作の曾我物を上演していました。現在も正月に曽我物が上演されることが多いそうです。
日本三大仇討ちもパワーワードですが、仇討ちの話がめでたいものとして正月に上演されるのも、ちょっと戸惑ってしまうところではありますね。
兄の十郎は千鳥の文様、弟の五郎は蝶の文様の衣装を身にまとっています。両者は足を大きく広げ、兄は姿勢を低くして弟を見遣り、弟は手を前に出して力強い様子です。
第二章 珠玉の錦絵帖/第三章 明治の写楽・豊原国周
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ここからは幕末〜明治時代の色鮮やかな役者絵をたっぷりと堪能! 静嘉堂文庫を創設した岩﨑彌太郎の役者絵コレクションを、2025年に生誕190年を迎える豊原国周(とよはらくにちか)の作品をメインに紹介しています。
※気になった作品を章ごとに紹介するつもりでしたが、第三章は国周以外の作品を選んでしまったため、第二・三章をひとまとめにしました。
第二章
当時の歌舞伎界は團菊左(九世市川團十郎、五世尾上菊五郎、市川左團次)の時代、岩﨑彌太郎と妻・早苗は五世尾上菊五郎の贔屓(ひいき、大ファンで後援者)だったそうで、五世菊五郎だらけです。
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「花台俳優年代記」は、役者がある1年に出演した演目と役柄などを記した刷り物。こちらは四世中村芝翫のもので、時代物や所作事(しょさごと、舞踊劇)を
得意とし、「大芝翫」と呼ばれた役者だそう。
顔と胸元のみを切り取り、キリッと決めた表情と龍や波を配した豪華な衣装がクローズアップされています。画面全体をみても、朱色と青のコントラストも目を惹きます。
推しのコレは買っちゃいますね。
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こちらは「東海道四谷怪談」を描いた大判の錦絵です。この演目は戸板返し(といたがえし)の仕掛けが見どころで、それを仕掛絵のかたちで再現しています。
中央下部の指が蛇になった人物が小仏小平、紙をペラッとめくると……
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片方のまぶたを腫らしたお岩の霊が現れます。
第三章
豊原国周は、鬼気迫る役者絵や優美な美人画を数多く手掛けました。大酒飲みで北斎以上に引越しを繰り返していたという、癖の強い人物でもあったようです。
「明治の写楽」ということ顔を似せた役者絵が得意だったのでしょうか。
原宿にある浮世絵専門の太田記念美術館でも、企画展が開催されています。準備段階では共同調査が行われ、会期中は相互割引が実施されるなど、生誕190年にふさわしい力の入れようです。
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左:塩冶判官と大星由良之助、明治 11 年 (1878) 11 月
一続きにみえますが、右側は、国家転覆を狙う男と、これを阻止する小町桜の精が争う「積恋雪関扉(つもるこいゆきのせきのと)」、左は、歌舞伎の三大名作のひとつ「仮名手本忠臣蔵」の登場人物たちです。
こちらも仕掛絵になっていて、紙をめくると役者が入れ替わります。同じ役柄(メイク)で役者が変わるので、顔立ちの違いもよくわかりますね。
2025年3月の三月大歌舞伎では「仮名手本忠臣蔵」をAプロ・Bプロの2チームでそれぞれ上演します。見比べるには2日分のチケットが必要ですが、一度は観たい演目です。
(筆者の初歌舞伎が「仮名手本忠臣蔵」だったのですが、あらすじを予習しててもイヤホンガイドなしでは楽しむのは難しいです)
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「弁天娘女男白浪(べんてんむすめめおのしらなみ)」のワンシーン、武家の娘に化けた男盗賊の弁天小僧菊之助の正体がバレてしまった場面です。
女性の顔や格好をしていますが、着物をはだけると刺青をした男性の体。そのギャップにドキリとしますね。
役者名をみるとゴールデントリオの團菊左。どんなに素晴らしい公演だったのか、錦絵を通して想像してみるのも一興です。
2025年5月の團菊祭五月大歌舞伎では、夜の部に「弁天娘女男白浪」が上演されます。この公演で、五世菊之助が八世菊五郎を、七世丑之助が六世菊之助を襲名します。七世・八世のW菊五郎になるので、ややこしいことになります。
浮世絵は分業制
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役者の顔アップにした大首絵(おおくびえ)もありました。ほぼ等身大(実物大?
)で、鷲鼻や目の大きさ、顔のシワ、皮膚のたるみなどが描写されています。細く柔らかそうな毛先や月代(さかやき)のグラデーションには、摺師・彫師の力量がうかがえます。
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会場には、大河ドラマ「べらぼう」の主人公・蔦屋重三郎の墓碑拓本も展示されていました。貴重な資料です。
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元となる絵を描く絵師、それを版画におこす摺師・彫師、そして彼らをまとめる版元がいて、浮世絵版画は世に出ることになります。
絵師ばかりに注目しがちですが、浮世絵版画には摺師や彫師、版元の名前(屋号)もクレジットとして入れられています。
第四章 歌川国貞の肉筆画帖
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展覧会の最後を飾るのは、「芝居町 新吉原 風俗絵鑑」という一作。江戸の二大歓楽街であった芝居町と新吉原の情景を、それぞれ6点、合わせて12点の図で描き出した肉筆画帖です。
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江戸時代の芝居小屋の様子です。相撲のように枡型の客席に観客が収まり、2階建ての桟敷席も満員御礼。老いも若きも、男も女も芝居に夢中なようです。
2階桟敷にはテーブルもあり、お刺身や大皿料理を食べながら開演を待っています。1階席でもお酒を飲んでいます。中央下では、お客さん同士が喧嘩になって、劇場スタッフがなだめに行っているようです。
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舞台裏から客席に向いた俯瞰のカメラアングルが斬新です。このような屋根をなくして建物内の様子を斜め上からのアングルで描く技法は吹抜屋台(ふきぬきやたい)と呼ばれ、《源氏物語絵巻》(12世紀)のような平安〜鎌倉時代の物語絵によく使われます。浮世絵では、葛飾北斎の「冨嶽三十六景」などに人の目線で奥行きのある風景はありますが、建物内を俯瞰した景色は珍しいかもしれません。
上手(かみて、画面では左上)で三味線や小鼓(こつづみ)、太鼓を演奏するのは黒御簾音楽(くろみすおんがく)で、BGMを生演奏でお届けしています。下手(しもて、画面では右上)には台本を確認している人やツケ(バタ、バッタリと鳴らす万能効果音)を打つ人がみえます。
画面の下半分はバックヤードで、食事をとったり身支度を整えたり、ワイワイガヤガヤと話し声が聞こえてきそうです。
ぜひ歌舞伎と浮世絵をセットで!
歌舞伎を観るようになってから、「歌舞伎の舞台背景(とくに滝などの水の自然景)が浮世絵に似ているな」「本当に役者絵みたいな顔やポーズをするんだ」と思うことがありました。同時に、歌舞伎を通して江戸の風俗や当時の美意識・思想などを知ったことで、浮世絵をみる眼がちょっとだけ出来てきた感じもしています。
以前の私は美術には親しんでいても、歌舞伎には馴染みがありませんでした。今の自分のほうが、より浮世絵の魅力を感じ取ることができている。この展覧会を鑑賞して、そんな確信を持ちました。
大河ドラマの影響で江戸の出版物、絵草紙や浮世絵に興味をもった方、蔦重や浮世絵の展覧会に行ってみたいと思っている方も多いでしょう。
展覧会よりはお高めのチケット代はかかりますが、ぜひ歌舞伎も観てほしい! 歌舞伎で蔦屋重三郎や戯作者・浮世絵師の生きていた時代を体感してから江戸時代の作品をみると、より理解度が高まって楽しめるはずです。
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