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文章を書くことは、物事の本質へと向かう旅

私は小説を読むことが好きだ。芥川賞作家の中村文則や村上春樹など、さまざまな作家の本を読んできた。そして今、こうしてnoteを書いている

書くこととは、自分が経験したことや感じたことを言葉にすること。それは、ある意味で「自分の身を削る」作業なのかもしれない。最初は表面的な言葉しか出てこない。表面的な言葉を出し切って、自分の内側へと深く入り込み、本当の自分と向き合いながら本質的な考えに辿り着くと、やがて多くの人の喜びや苦しみとつながる文章が生まれるのだと思う。

本や文章を読んでいて面白いのは、物語やエッセイを通じて、その人が一番伝えたいことが見えてくる瞬間だ。文章全体から、その人が伝えたいことが滲み出て見えてくることがある。それが本質的な内容であればあるほど、ある意味それは私の一部でもあり、共感が生まれる。

最近、AIの進化によって業務の多くが効率化され、文章もAIが書ける時代になった。確かに、AIは膨大な情報を整理し、整った文章を作ることができる。けれど、人が「身を削って」生み出す文章とは、決定的に違う何かがあるのではないか。

AIは、人生を生きていない。苦しみ、葛藤し、乗り越えてきた失敗経験がない。だからこそ、AIがどれだけ高度な文章を作れたとしても、失敗を重ねてきた人間が紡ぐ言葉の奥深さには届かないのではないかと思う。

私もnoteを通じて言葉を紡ぐことで本質に辿り着き、いつかそれが自分の娘を含めた誰かの救いになったら幸いだ。

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